椿町(読み)つばきまち

日本歴史地名大系 「椿町」の解説

椿町
つばきまち

[現在地名]萩市大字椿 椿町

東田ひがしだ町東寄りで南折する御成道が南下して橋本はしもと橋を渡ると当町に入る。町人町で、北は橋本川を隔てて橋本町、南は当島宰判管内の椿西分つばきにしぶんに接する。東と西は中下級武士の屋敷地であった。萩城下の出入口にあたり、城下の諸町のうち橋本・松本まつもと両川のつくる三角州外にある唯一の町であった。

町名の由来を「萩諸町之旧記草案」は、「往古椿西分立川村、只今石橋有之所之近辺に、椿之大木有し故、椿之庄といへるよし、右之椿之庄之内に有之町なる故、椿町といへる由言伝へり」と記す。

宝暦元年(一七五一)の萩大絵図別冊文書によれば、町の長さ三五九間、家数一四七、うち本軒三六、店借一〇九、貸屋二で、ほかに蔵が二ヵ所あった。


椿町
つばきちよう

[現在地名]高崎市椿町

城郭の北東にある侍町。東と南は九蔵くぞう町、西はもと町、北は高崎城遠堀。明治七年(一八七四)測量では町の長さ東西四八間三尺、道幅二間、裏通四四間一尺五寸、道幅九尺(更正高崎旧事記)。安政三年(一八五六)城下図ではすべて屋敷と記され、下級武士の組屋敷であった。椿町の称は「高崎寿奈子」に「井伊兵部君箕輪在城の時、箕輪に椿山権現の宮法華堂とて庵ありしを、慶長三年に先づ町出来て椿町と号す」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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