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佐和山 さわやま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐和山
さわやま

滋賀県中部,彦根市北部にある小山。標高 233m。西麓がかつての内湖にのぞむ要害地で,戦国時代石田三成居城があったが,関ヶ原の戦いで落城。現在は城跡,屋敷跡,武器庫跡などが残るのみ。西麓に大洞弁財天として知られる長寿院 (弁財天堂は重要文化財) ,龍潭寺などがある。

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百科事典マイペディアの解説

佐和山【さわやま】

滋賀県彦根市の琵琶湖東岸にあり,標高約233m。かつては北麓に筑摩(つくま)江(入江内湖),西麓に松原内湖が広がり,東麓の鈴鹿山脈との間の狭小な地帯を東海道(古代の東山道,近世の中山道)が走る要害の地。
→関連項目井伊氏

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大辞林 第三版の解説

さわやま【佐和山】

滋賀県彦根市にある山。海抜233メートル。石田三成の居城があった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐和山
さわやま

滋賀県北東部、彦根(ひこね)市北部にある山。標高233メートル。かつては琵琶(びわ)湖の入江内湖、松原内湖が迫り、中山道(なかせんどう)などの街道が通る要害の地であった。中世末には丹羽長秀(にわながひで)、堀秀政(ほりひでまさ)、堀尾吉晴(よしはる)らの城砦(じょうさい)があった。1595年(文禄4)石田三成(みつなり)が入って本格的な城を築いたが関ヶ原の戦いで敗れた。1601年(慶長6)井伊直政(いいなおまさ)がこの地に封ぜられたが、土地が狭小で水利も悪いため、子の直勝のとき彦根城に移り、廃城となった。山地一帯には井伊氏による大洞弁財天(べんざいてん)堂や旧城郭の遺構が残っている。[高橋誠一]

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世界大百科事典内の佐和山の言及

【彦根[市]】より

…平安・鎌倉時代,彦根山中の彦根寺が観音験所として京畿一円に知られ,白河上皇はじめ宮廷人の参詣もみられた。1601年(慶長6)関ヶ原の戦の軍功によって,井伊直政が封地18万石で現在の市街地の北東方にある佐和山城主となったが翌年死去し,嫡子直継は彦根山へ築城を決め,03年より22年(元和8)の間工事を進め,以後井伊氏歴代の居城となった。 一方,城下町建設のため,古く三彦また三根の地と呼ばれた彦根,里根,長曾根の3郷を廃し,また芹川の付替え,尾末山(彦根山東端)の切崩し,四つ川水路の開通,湖沼の埋立てなどの諸工事を行った。…

※「佐和山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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