ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊行密」の意味・わかりやすい解説
楊行密
ようこうみつ
Yang Xing-mi; Yang Hsing-mi
[没]天祐2(905).11. 広陵
中国,五代十国の呉の始祖 (在位 892~905) 。廬州合肥 (安徽省) の人。字は化源。諡は武忠王。廟号は太祖。唐末に群盗から身を起して戦功を立て,中和3 (883) 年廬州刺史となった。竜紀1 (889) 年浙西を攻めて蘇,常,潤3州を取り,江南に勢力を伸ばし,広陵に拠り,淮南節度使に任じられた。のち大挙南下する朱全忠の大軍を破り,呉越の銭鏐 (りゅう) には蘇州で敗れたが,ほぼ淮南江東を確保し,天復2 (902) 年東面諸道行営都統となり,呉王に封じられた。没後太祖と追尊された。
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