銭鏐(読み)せんりゅう(英語表記)Qian Liu; Ch`ien Liu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「銭鏐」の意味・わかりやすい解説

銭鏐
せんりゅう
Qian Liu; Ch`ien Liu

[生]大中6(852)
[没]長興3(932).3.28.
中国,五代十国,呉越国の第1代国王 (在位 907~932) 。杭州臨安 (浙江省臨安県) の人。字は具美。諡は武粛王。幼時大木に登って群児に号令したといわれ,任侠無頼の親分肌で,塩の密売によって財力をたくわえ,仲間を集めていた。唐の僖宗乾符2 (875) 年石境鎮の董昌の副将に任命されて以後,光啓3 (887) 年杭州刺史。昭宗の景福2 (893) 年鎮海軍節度使,五代後梁太祖の開平1 (907) 年,呉越西王に封じられ,両浙地方に自立した。杭州城を修築し,銭塘江築堤,水利事業を行い国を豊かにした。

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世界大百科事典(旧版)内の銭鏐の言及

【杭州】より

…杭州湾は浅く,大きな海洋船は直接杭州に入港できなかったが,寧波(ニンポー),紹興(越州)から運河で杭州に達し,改めて大運河で北に向かう交通路が定着すると,アラビア人をはじめ,日本,朝鮮半島からの使者たちも頻繁に訪れ,商業中継基地として発達した。 907年(天祐4),呉越国の銭鏐(せんりゆう)は,南郊の丘陵まで含んだ周囲70里の城壁を築き,国都としてさらに発展につとめた。揚子江デルタ地帯の農業生産力の飛躍的増大,銭塘江流域,安徽省方面の産業の発達,杭州周辺の絹織物生産の開発などが相乗し,宋代に入ると杭州は江南最大の都市に成長した。…

【呉越】より

…907‐978年。唐末の動乱期に杭州の自衛団を背景に銭鏐(せんりゆう)が建てた国。両浙13州を領有し,ゆたかな農業生産力によって,小国ながら経済・文化面で高水準を示した。…

【五代十国】より

… つぎに江南の十国政権についてみよう。杭州を中心とした浙江地方に拠る呉越は,土豪自衛団を基盤に遊民出身の銭鏐(せんりゆう)がたてたもの,その北の江蘇,安徽,江西地方に拠る呉は,群盗出身の楊行密がたてたものであり,その西の湖南地方には軍賊出身の馬殷がたてた楚が併存した。これら三国は黄巣集団の分派である。…

※「銭鏐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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