広陵(読み)こうりょう

精選版 日本国語大辞典 「広陵」の意味・読み・例文・類語

こうりょうクヮウリョウ【広陵】

  1. [ 一 ] 中国江蘇省揚州市の古名。秦代に広陵県、後漢代に広陵郡が置かれた。
  2. [ 二 ] 広島のこと。
  3. [ 三 ] 琴の曲の名「こうりょうさん(広陵散)」の略。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「広陵」の意味・わかりやすい解説

広陵(町)
こうりょう

奈良県北西部、北葛城(きたかつらぎ)郡にある町。1955年(昭和30)馬見(うまみ)町と瀬南(せなみ)、百済(くだら)の2村が合併して成立。1956年箸尾(はしお)町を編入。西部の馬見丘陵と、いずれも南から北に貫流する高田川、葛城川曽我(そが)川流域にかけて発達した水田農業地帯である。明治末期から靴下製造が盛んとなり、現在全国屈指の生産量を誇る。ほかに織布、プラスチック工業も行われる。農業はナスイチゴなどの栽培が盛んになった。東部の百済は百済人の渡来地と伝えられ、百済寺が残る。百済寺の三重塔は国の重要文化財。馬見丘陵には特別史跡巣山古墳、国史跡牧野(ぼくや)古墳など多くの古墳がある。一方、真美ヶ丘ニュータウンなどの大規模住宅団地の開発が行われた。北部を近畿日本鉄道田原本(たわらもと)線が通る。面積16.30平方キロメートル、人口3万3810(2020)。

[菊地一郎]

『『広陵町史』(1965・広陵町)』『『広陵町史』全3巻(2000~2001・広陵町)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「広陵」の意味・わかりやすい解説

広陵[町] (こうりょう)

奈良県北西部,北葛城郡の町。1955年馬見町,瀬南村,百済村が合体して広陵町となり,56年箸尾町を編入。人口3万3070(2010)。奈良盆地中西部に位置し,盆地底部から馬見丘陵にわたる一帯を占める。馬見丘陵は浸食による小谷が樹枝状に入り,谷を利用した小溜池が無数に分布する。靴下製造業,ふすま地などを生産する織布業,プラスチック産業などの工業が盛んで,とりわけ靴下は全国でも有数の産地であり,施設の近代化も進められている。農業は稲作のほか,ナス,イチゴの栽培が盛ん。西部の馬見丘陵では住宅・都市整備公団の真美ヶ丘団地の建設が進み,人口も増加している。古墳時代中期の大規模な前方後円墳巣山古墳(特史),後期の牧野(ばくや)古墳(史)など古墳が多く,百済寺の鎌倉時代の三重塔は重要文化財に指定されている。近鉄田原本線が通る。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「広陵」の意味・わかりやすい解説

広陵[町]【こうりょう】

奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡,奈良盆地にある町。北部に近鉄田原本(たわらもと)線が通じる。米のほか麦,ナスなどを栽培。靴下製造が盛んで全国有数の産地。百済(くだら)地区は古代渡来人の居住地。百済寺や巣山古墳(特別史跡),牧野(ばくや)古墳(史跡)がある。16.30km2。3万3070人(2010)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「広陵」の解説

広陵(こうりょう)

揚州(ようしゅう)

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の広陵の言及

【揚州】より

…春秋時代には邗(かん)国が成立し,のちに呉に併合されたが,呉王夫差は北方へ通じる運河邗溝(かんこう)を開き,その拠点として邗城(現在の揚州市の北西)を築くなど,地域の開発の基礎をつくった。そののち楚が領有して広陵と改め,漢になって広陵県が置かれ,江都国(のち広陵国,ついで広陵郡)の治所となった。南北交通・江南経略の要衝としてここは特に重視され,漢王室の直轄地として親族が配されたが,要衝地としての性格は歴史を通じて変わらなかった。…

※「広陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android