蘇州(読み)ソシュウ

  • Sūzhōu
  • そしゅう / スーチョウ
  • そしゅう ソシウ
  • そしゅう〔ソシウ〕
  • 蘇州 Sū zhōu

百科事典マイペディアの解説

中国,江蘇省南部の市。太湖の東岸に位置し,大運河蘇州河の交会点で,京滬(けいこ)鉄路(北京〜上海)に沿い交通の要衝をなす。春秋時代の都だった。,生糸,ナタネなどの大集散地で,絹織物,刺繍(ししゅう)などの伝統工業が盛ん。付近は寒山寺などの名勝史跡に富む。伝統文化を保持した水の都として名高く,イタリアのベネチアとは友好都市。蘇の古典園林は1997年世界文化遺産に登録された。329万人(2014)。
→関連項目経済特区江蘇[省]蘇州古典園林

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世界大百科事典 第2版の解説

中国の江蘇省南東部,上海の西約80kmにある市。省直轄市であり,近郊にある呉県の県政府所在地。人口105万(1994),うち都市人口69万。古い歴史をもち文化財景勝の地に富む江南第一の観光都市。特に滄浪亭獅子林拙政園留園等の園林は著名である。また虎丘霊巌山,宝帯橋等の名勝,寒山寺,報恩寺玄妙観等の寺廟も重要な観光地である。これらの文化遺跡やすぐれた工芸品の産出地として,日本においても古くからよく知られている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中国、江蘇(こうそ)省南部の地級市。略称は蘇。旧称は呉。太湖(たいこ)の北東にあって、豊かな揚子江(ようすこう)(長江(ちょうこう))デルタの要地を占める。虎丘(こきゅう)、呉中(ごちゅう)、相城(そうじょう)、呉江(ごこう)、姑蘇(こそ)の5市轄区を管轄し、常熟(じょうじゅく)、太倉(たいそう)など4県級市の管轄代行を行う(2017年時点)。人口667万0124、市轄区人口341万2564(2015)。年平均気温は約16℃、年降水量は約1000ミリメートル。金沢市、池田市と姉妹都市提携を結んでいる。

[林 和生・編集部 2018年1月19日]

歴史

水上交通にとくに恵まれているため、揚子江流域ではもっとも早く開発された。春秋時代は呉の都が置かれ、秦(しん)の統一後、呉県となり、秦から前漢を通じて、会稽(かいけい)郡の治所が置かれ、後漢(ごかん)の中期に呉郡の治所に改められた。当時すでに江南における経済や文化の中心であったが、三国時代以後、漢民族の南方への移住が盛んになってから急速に発展した。隋(ずい)代に中原(ちゅうげん)と江南を結ぶ大運河が開通すると、沿線最大の物資の集散地としていっそう繁栄し、呉郡の名も蘇州と改められた。かくて、江南最大の人口を誇る都市となり、唐の最盛期の742年には、呉県をはじめ管下の7県の人口をあわせて約63万を数えた。五代の呉越(ごえつ)国の独立は蘇州の経済力を基礎にして可能となったといわれる。

 南宋(なんそう)から元にかけては南宋の首都杭州(こうしゅう)とともに「上有天堂、下有蘇杭」と称され、都市文化が発達し地上の極楽に比せられた。当時、呉淞江(ごしょうこう)によって外海に通じ、海外渡航の根拠地となり、外国貿易も行われた。明(みん)代後半から清(しん)代にかけてが全盛期で、絹織物、刺しゅう、綿紡織業などが栄え、商業金融も発達し、全国の租税納入額の1割を占めることもあった。

 しかし清末には洪水に襲われたり、また太平天国軍に占領され、10年間にわたり、その指導者の一人である李秀成(りしゅうせい)の本拠となったりしたため、繁栄の中心は上海(シャンハイ)に移った。蘇州市が設置されたのは1949年である。

[林 和生 2018年1月19日]

産業・交通

市内同様に管轄代行を行う県級市は縦横に水路網が発達した水郷地帯で、米、ワタ、小麦、ナタネ(アブラナ)を産し、養蚕業が盛んである。また淡水養殖業も大規模に営まれ「魚米の里」とよばれる。市東北部にある陽澄湖(ようちょうこ)は、シャンハイガニの産地・養殖地として有名。

 中華人民共和国成立後に繊維製品、化学、機械、製紙、電子機器、鉄鋼などの工業が発達し、蘇州工業園区、蘇州ハイテク産業開発区(高新区)などの優遇区域が設置されている。京滬(けいこ)線によって首都の北京(ペキン)や経済・金融の中心地である上海、省政府所在地の南京(ナンキン)と結ばれている。伝統的手工業として刺しゅう、檀香扇(たんこうせん)(白檀(びゃくだん)など香木を使った扇子)、宋錦などが世界的に知られる。

[林 和生・編集部 2018年1月19日]

文化・観光

代表的な古い水都で、風光明媚(めいび)な観光遊覧都市として名高い。市の内外には、明・清代の建造物が現存する水郷地帯の周荘鎮(しゅうしょうちん)をはじめ、滄浪亭(そうろうてい)、獅子林(ししりん)、拙政園(せっせいえん)、留園(りゅうえん)などの名園や、楓橋(ふうきょう)、虎丘、張継(ちょうけい)の漢詩「楓橋夜泊」で有名な寒山寺、報恩寺など、名勝・旧跡が多い。

[林 和生 2018年1月19日]

世界遺産の登録

滄浪亭、獅子林、拙政園、留園など、市内に点在する9庭園は1997年および2000年に、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「蘇州古典園林」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。また、蘇州運河は2014年、「中国大運河」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。

[編集部 2018年1月19日]

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精選版 日本国語大辞典の解説

中国、江蘇省南東部、太湖の北東岸の都市。江南デルタ中央部の水上交通の要地を占め、清末まで全国的な経済都市として繁栄した。春秋時代の呉の都。隋・唐代に州が置かれた。米、絹織物、刺繍などが名産。風光明媚な水都で寒山寺などの名勝古跡も多い。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

中国,江蘇 (こうそ) 省南部,長江河口近くにある商業都市
春秋時代に呉の国都となって以来,長江デルタ地帯の中心を占め,隋代に大運河が開通したのちは経済都市として繁栄。絹織物の産地として知られたが,明の半ばごろから綿織物綿布の加工業も盛んとなり,明・清代には中国最大の商工業都市として発展。学問・芸術も栄えたが,太平天国の乱で兵火を受けて破壊され,経済的地位を上海に譲った。

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世界大百科事典内の蘇州の言及

【江蘇[省]】より

…春秋時代になってようやく開発が進み,北東部は魯,北西部は宋,南半部はほとんどが呉,南西部が楚の勢力範囲であった。戦国時代の初期には呉がもっとも強大で今の蘇州に都をおき,淮河から南,太湖周辺一帯を占めていたが,前5世紀の後半に浙江から起こった越(都は紹興)に滅ぼされた。しかし前4世紀の中ごろ越は楚に滅ぼされ,もとの呉・越の領土はすべて楚の手中に帰した。…

【平江城坊図】より

…中国,南宋時代の蘇州(当時蘇州は平江府といわれた)市街地図を刻した石碑。1229年(紹定2)の製作と考えられ,蘇州市の旧孔子廟内に現存する。…

※「蘇州」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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