楠本 正隆
クスモト マサタカ
- 肩書
- 衆院議長
- 別名
- 号=西洲
- 生年月日
- 天保9年3月20日
- 経歴
- 大村藩の藩校頭取となり、尊王攘夷運動に投じ、維新後明治元年徴士、長崎裁判所権判事、九州鎮撫使参謀助役、3年外務権大丞、5年外務大丞から新潟県令となり、大河津事件などを鎮定。8年内務大丞兼東京府権知事、10年東京府知事、12年元老院議官、同院副議長を経て23年衆院議員に当選、衆院副議長、議長を務めた。この間東京市会議長。29年男爵。のち立憲革新党・進歩党を結成、憲政本党の幹部を務めた。
- 受賞
- 勲一等
- 没年月日
- 明治35年2月7日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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楠本正隆 くすもと-まさたか
1838-1902 幕末-明治時代の武士,官僚,政治家。
天保(てんぽう)9年3月20日生まれ。肥前大村藩(長崎県)の勤王派中老として活躍。維新後は新潟県令となり,名地方官として知られる。明治10年東京府権(ごんの)知事,23年衆議院議員(当選4回,進歩党),26年衆議院議長。都新聞社主,社長もつとめた。明治35年2月7日死去。65歳。号は西洲。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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