楠瀬熊治(読み)クスノセ クマジ

20世紀日本人名事典 「楠瀬熊治」の解説

楠瀬 熊治
クスノセ クマジ

明治〜昭和期の海軍造兵中将 東京帝国大学名誉教授。



生年
慶応1年5月15日(1865年)

没年
昭和8(1933)年6月17日

出生地
土佐国土佐郡潮江村(高知県)

学歴〔年〕
東京帝国大学工科〔明治24年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治36年〕

経歴
明治27年海軍省技師となり、火薬研究のためフランスへ留学。31年東京帝国大学講師を経て、35年教授となり、37年造兵監督官として英国へ派遣された。また、造兵廠火薬部長、下瀬火薬製造所長、海軍造兵総監・技術本部出仕、火薬廠長、艦政本部出仕などを歴任。大正10年海軍造兵中将に昇進。大学で火薬性能を研究する傍ら、海軍省で高爆薬を完成、無煙火薬の安定度試験法を確立するなど、火薬の発明・改良に大きく貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楠瀬熊治」の解説

楠瀬熊治 くすのせ-くまじ

1865-1933 明治-大正時代の工学者,軍人
慶応元年5月15日生まれ。海軍省にはいり,フランスに留学。大正8年東京帝大教授,10年海軍火薬廠長。造兵中将。東京帝大で火薬性能を研究するかたわら,海軍省で高爆薬を完成し,無煙火薬の安定度試験法を開発した。昭和8年6月17日死去。69歳。土佐(高知県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android