デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楢崎弥八郎」の解説 楢崎弥八郎 ならざき-やはちろう 1837-1865* 幕末の武士。天保(てんぽう)8年7月12日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。江戸で安積艮斎(あさか-ごんさい),大橋訥庵(とつあん)にまなび,尊王攘夷(じょうい)の志をいだく。文久3年政務役となり,禁門の変のあと,藩内で幕府恭順派が実権をにぎると捕らえられ,同志とともに元治(げんじ)元年12月19日刑死した。28歳。名は清義。号は節庵。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「楢崎弥八郎」の解説 楢崎弥八郎 没年:元治1.12.19(1865.1.16) 生年:天保8.7.12(1837.8.12) 幕末の長州(萩)藩士。尊攘運動に参加。久坂玄瑞らと長井雅楽攻撃を進める。文久3(1863)年藩の要路に上ったが,第1次長州征討下に誕生した佐幕派の藩庁により処刑された。 (井上勲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「楢崎弥八郎」の解説 楢崎弥八郎 (ならざきやはちろう) 生年月日:1837年7月12日江戸時代末期の長州(萩)藩士1865年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by