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辞典 じてんdictionary

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6件 の用語解説(辞典の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

辞典
じてん
dictionary

言葉を一定の順序で配列し,解釈や説明などを加えた書物。文字に重点をおいたものを字典あるいは辞典といい,事物に重点をおいたものを事典といっている。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

じ‐てん【辞典】

国語辞典・対訳辞典など、語の言語としての意味・用法と内容を示す辞書。言語辞書。字引(じびき)。ことばてん。
辞書1」に同じ。

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百科事典マイペディアの解説

辞典【じてん】

辞書,字引とも。単語を配列し,その発音,語形,語義,用法等を解説したもの。専門的内容の事柄を説明する事典,文字(表意文字)の語義,音を記述する字典とはふつう区別される。
→関連項目色葉字類抄

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世界大百科事典 第2版の解説

じてん【辞典】

辞書ともいう。英語のディクショナリーdictionaryにあたり,主として単語を配列してそれぞれの発音,語形,語義などを解説した書をさすが,ひろくは事物の名や用語を配列してそれらの内容を解説した百科事典(エンサイクロペディアencyclopaedia)の類をもふくめる。後者は近来では〈事典〉と書かれる場合が多い。辞書百科事典【町田 清】

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大辞林 第三版の解説

じてん【辞典】

いろいろな言葉を集めて一定の順序に配列し、その表記法・発音・語源・意味・用法などを記した書物。辞書。じびき。 「国語-」 「英和-」 → 字典事典

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

辞典
じてん

ことばや文字をある視点から整理して配列し、その読み方、意味などを記した書物(日本国語大辞典など)をいう。辞書、辞彙(じい)、字典、字彙、字引などともいう。[彌吉光長]

種類

一般に文字または綴字(てつじ)の標目を五十音またはアルファベット順に配列し、検索の便を図る。中国では漢字に配列の手段がないので、部首順または音韻順により、また字形、音韻および訓詁(くんこ)(解釈)の3種の辞典に区別される。日本語の辞典の種類は、総合的辞典のほかに、古語(古典語、雅語)、方言(俗語)、隠語、現代語、外来語、類語対語、故事俚諺(りげん)、語源、発音アクセント、文法、専門用語の諸辞典があり、さらに漢和辞典、2国語または数か国語対照辞典bilingual dictionaryがある。総合辞典には標目数四十数万の大辞典(完全辞典complete dictionary)、同十数万の中型辞典(机上辞典desk dictionary)、携帯用の袖珍(しゅうちん)またはポケット辞典がある。総合辞典は古語中心の辞典から発展し、標準語中心から現代通用語中心になり、百科事典的な情報を収容していく傾向がある。[彌吉光長]

辞典の利用

辞典は、西洋でラテン語の解釈を目的に自国語との対照から発展した。中国では字形や意味を知るためで、字典と訓詁の学がある。理想としてはあらゆる語彙(ごい)と文字を解釈すべきであろうが、それは実現不可能なため、どんな階層の利用者のためかが目標とされる。したがって、その目的で語彙の通用の実態を調査し、語彙の選定と標目語の採択を第一義とするので、利用者は辞典の種類と傾向を知る必要がある。次に解釈も網羅的というわけにいかないので、語の使用階層、地方・学術などの差、用法と引用例、熟語・成句の取り入れの傾向を知ることが重要である。固有の和語はもちろん、外来語の語源にも注目すべきである。方言などは確実な資料によるものがよい。発音、アクセント、仮名遣い、品詞、変化、文字の異体にも注意が必要である。[彌吉光長]

歴史――西洋

西洋文化と同じように辞典もギリシアに起源が求められる。紀元前2世紀アレクサンドリア図書館長アリストファネスはホメロスなどの原典批判を行うとともに『ギリシア語難語辞典』を編し、後1世紀になるとパンフィルスPamphilus of Alexandriaが集大成した辞典95巻を編した。また、ローマでは1世紀にフラックスMarcus Verrius Flaccusが『語義論』De verborum significatuというアルファベット順の辞典形式をつくった。中世にはラテン語全盛時代で多くの辞典がつくられたが、その一つに1286年バルビGiovanni Balbi of Genoaが編した聖書の辞典がある。1560年ごろにはグーテンベルクが『カトリコン』Catholiconを印刷した。また、1613(1612?)年には、イタリアのアカデミーが自国語の純化確立政策から『アカデミア・デラ・クルスカ辞典』Vocabolario degli Accademici della Cruscaを編し、これは1920年代まで通用した。1694年になると、フランスのアカデミーも同じ目的で『アカデミー辞典』Dictionnaire de l'Acadmie franaiseをまとめ、1935年に8版を重ねた。国語政策をとらなかったイギリスでは、コードリーRobert Cawdryが編した1604年の『アルファベット語表』Table Alphabeticallが最初のもので、ヘブライ、ギリシア、ラテン語等と英語を対照させた。[彌吉光長]
イギリス
現代的辞典の祖先はベイリーNathan Bailey(?―1742)の『万有語源的英語辞典』An Universal Etymological English Dictionary(1721)で、チョーサー、シェークスピアなど文学者の引用句を含み、1727年改修版2巻はサミュエル・ジョンソンの辞典出現までの権威であった。ジョンソンは正しい英語の確立を目ざして、1755年に『英語辞典』A Dictionary of the English Languageを出版し、英語学と辞典の権威と認められた。これは、語数4万で、語釈の明確さと引用句の豊富適確さで知られていた。しかし言語学の進歩により主観的すぎるという非難がおこり、1836~1837年リチャードソンCharles Richardson(1775―1865)は、語の意味の時代変化を明らかにした『新英語辞典』A New Dictionary of the English Languageを出版した。大英哲学会は英語の歴史的変遷を明らかにした辞典の必要を討論の結果、1858年、編集委員にコールリッジHerbert Coleridge(1830―1861)とファーニウェルFrederick J. Furniwell(1825―1910)に委嘱したが、兼職のため進行が遅れ、オックスフォード大学出版会(OUP:Oxford University Press)が1879年補助金を申し出て進捗(しんちょく)を図り、言語学の権威マーリSir James A. H. Murray(1837―1915)を専任として編集を進め、1884年『新英語辞典』A New English Dictionary on Historical Principles第1巻を出版、1928年13巻を完成(1933年『オックスフォード英語辞典』Oxford English Dictionary〈OED〉と改称。12巻・補遺1巻、1972年補遺7巻刊)。これは、チョーサーのころからの英語42万、引用句200万を超え、言語学に徹し、現代辞典の典型といわれる。[彌吉光長]
アメリカ
アメリカではウェブスターが1828年に『アメリカの英語辞典』An American Dictionary of the English Language大型2冊を完成し、アメリカ的綴字と発音を付し、今日80万語に発展した。現代語辞典には『ランダムハウス英語辞典』The Random House Dictionary of the English Language(1966、28万語)がある。アメリカ的英語にはクレーギーWilliam Craigie(1867―1957)、ヒュルバートJames R. Hulbert共編『アメリカ的英語辞典』A Dictionary of American English on Historical Principles(1938~1944・4巻)と、マシューズMitford M. Mathews(1891―1985)の『アメリカニズム辞典』A Dictionary of Americanisms on Historical Principles(1951)がある。[彌吉光長]
ドイツ
ドイツは南北多くの地方語に分かれ、統一がなかった。最初の辞典には1477年ケルン版のシュエレンG. van der Schuerenの『ドイツ・ラテン語双解辞典』Teuthonista oder Duytschlenderがある。しかしドイツ語全体を取り入れて科学的に編集する大事業はグリム兄弟によって行われた。兄ヤーコプは「グリムの法則」で音韻変移の科学的原則をたてた言語学者で、弟のウィルヘルムとともに科学的に母国語辞典編集を企て、ドイツ語通用地域の辺境まで採訪に奔走し、巨大な言語資料を実態調査した。その採訪の民話を整理したのが『グリム童話』Kinder-und Hausmrchen2冊(1812、1815)になったが、それらの巨大な資料の編集に苦心した結果、1854年に『ドイツ語辞典』Deutsches Wrterbuch第1巻を発行。しかし、兄弟相次いで没して未完成に残された。何人もの言語学者がその後を継いだが、ついに東西ドイツ・アカデミーの協力で100年後の1960年、企画から1世紀半ののち32巻を完成した。その間の言語学の進歩で今後改訂を要するが、それら基本的資料は輝かしい言語学の金字塔である。また、グリム兄弟に批判的立場からハナンPaul Hannan(1846―1921)は1897年『ドイツ語辞典』Deutsches Wrterbuchを発行した。ハイネMoritz Heyne(1837―1906)にも『ドイツ語辞典』Deutsches Wrterbuch3巻(1904~1906)がある。トリュブナー社はゲッツAlfred Gtze(1876―1946)とミッカWilhelm Mitzka(1888―1976)共編の『トリュブナードイツ語辞典』Trbners Deutschen Wrterbuch8冊を1939~1957年に出版した。[彌吉光長]
フランス
フランス語とラテン語との対照辞典が初めで、1539年エスチエンヌRobert Estienne(1503―1559)は『ラテン・フランス語対照辞典』Dictionnaire latin-franaisを出版した。また、1690年には、作家フュルチエールがアカデミーの宮廷用語中心の編集を非難、国民の国語を目ざして10余年の苦心の結果『万有フランス語辞典』Dictionnaire universel, contenant gnralement tous les mots franoisをジュネーブで刊行した。現代的フランス語の辞典は、1863~1873年のリトレによる『フランス語辞典』Dictionnaire de la langue franaise4巻(補遺1巻、1877)であり、のちにアシェット社が補遺を付して七巻本を発行した(1956~1958)。これに対抗しうるのはラルース社新版の『大ラルースフランス語辞典』Grand Larousse de la langue franaise7巻(1971~1978)である。同社はまた、辞典編集者オージュClaude Auge(1854―1924)改編『小図解ラルース』Le petit Larousse illustrを1906年に発行、広く愛用されている。[彌吉光長]
スペイン
スペイン語には『アカデミー辞典』Diccionario de la lengua castellana1726~1739年版(1936~1939改修)がある。コバルビアス・イ・オロズコSebastin de Covarrubias y Orozco(1539―1613)の『カステラ語宝庫』Tresora de la lengua castellana1611年版もある。[彌吉光長]

歴史――東洋


中国
東方文化の起源は中国にあった。紀元前2世紀に前漢の学者は五経の解釈をまとめて辞典の形式をつくった。『爾雅(じが)』19編は分類した難語の注釈であり、古文の引用を含むので、類書の萌芽(ほうが)ともみられる。これを発展させたのが、後漢(ごかん)の劉煕(りゅうき)編『釈名(しゃくみょう)』8巻であり、これは語釈だけであるから訓詁(くんこ)と称せられる。字形とその読みと語釈を備えた完全な辞典は字書といい、その典型は後漢の許慎(きょしん)のつくった『説文解字(せつもんかいじ)』15巻であり、9300余の漢字を解釈して後世文字学の原典と尊ばれ、清(しん)末、段玉裁(だんぎょくさい)らの研究で考証学派が生じた。梁(りょう)の顧野王(こやおう)(519―581)はこれを展開して『玉篇(ぎょくへん)』(543)30巻とした。唐の孫強(そんきょう)の増補と宋(そう)の陳彭年(ちんほうねん)(961―1017)の修訂を経て盛んに利用された。日本でも唐の『玉篇』を盛んに利用し、室町時代に『和玉(わごく)篇』がつくられ、明治初年にも印刷されている。清初1716年に張玉書(ちょうぎょくしょ)(1642―1711)らは勅撰(ちょくせん)で『康煕(こうき)字典』42巻をつくり、親字4万7000余の字数を収め、『説文解字』以来の字書を集大成し、その後刊行された字書の範となった。日本では明治時代にも利用され、これによって漢和字典の類が発達した。
 韻書のおこりは隋(ずい)の陸法言(りくほうげん)(560ころ―?)らの『切韻(せついん)』(601)であり、これを、唐の孫(そんめん)が増訂して『唐韻』としたが、これらは現存しない。また、宋の戚倫(せきりん)は宋韻によって改めて『広韻』5巻を編し(1008)、元度(げんたく)(990―1053)らは1037年に『集韻』10巻を完成した。清初の1711年、張玉書らは『佩文韻府(はいぶんいんぷ)』106巻を勅撰し、さらに1716年にはこれを大増補し、最終的には444巻となった。脚韻によって106韻に親字を配列し、脚韻で熟語を親字に集め、語釈も例詩文を並べたもので、作詩には盛んに利用された。
 中華民国の時代になって、西欧と日本の辞典の影響で種々の辞典が現れた。陸爾奎(りくじけい)らは1915~1931年に『辞源』正続3巻を編したが、これは百科事典の要素が多い(1945合冊)。朱起鳳(しゅきほう)は1934年に『康煕字典』によって『辞通』2巻を編した。また、同年に舒新城(じょしんじょう)(1893―1960)らは『辞海』3巻を刊行、百科事典を兼ねたものとした。その翌年に徐元佶(じょげんきつ)らは『中華大辞典』4巻を編した。『康煕字典』より、中国語文の意義の変遷に力を注ぎ、例文も多く、また百科事典の要素も多い。[彌吉光長]
朝鮮
朝鮮語の代表辞典としては『大辞典』6巻があげられる。日本の「同化政策」によって母国語の荒廃するのを正すため1929年から着手され、1936年朝鮮語学会が担当して、標準語彙の設定、綴字の統一を行い、編纂(へんさん)にかかった。しかし、総督府の検挙にあい、1947年第1巻発行をみたが、朝鮮戦争で中断、苦心の結果1957年にようやく完成した。語数16万4000語、百科事典的要素も含んでいる。[彌吉光長]
日本
日本では古代に中国の辞典を盛んに使った。『玉篇』は中国では逸書になったが、石山寺や早稲田(わせだ)大学には古写本の一部が現存する。また『楊氏(ようし)漢語抄』や『弁色立成』が奈良時代につくられ、『東宮切韻』が菅原是善(すがわらのこれよし)の編であることは『日本国見在書目録』にみえている。850年(嘉祥3)に空海が『篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)』30巻を編し、『玉篇』の省略に日本人に必要な注釈と読みを加えて、偏旁(へんぼう)配列にした。昌泰(しょうたい)年間(898~901)になると、僧昌住(しょうじゅう)(856―901?)は『新撰字鏡』12巻を編し、『玉篇』などから2万1300余字を収め万葉仮名の訓を付した。平安末につくられた『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』(著者不詳)10巻は、漢字3万2000字で忠実に和訓1万余を付している。[彌吉光長]
和語辞典の出現
和語最初の辞典は、源順(したごう)が承平(じょうへい)年間(931~938)ごろ編した『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』であり、十巻本(24門分類)と二十巻本(32門分類)とがある。種々の名詞を分類して和訓と解釈に引用文を付したもので、辞書であるとともに百科事典(類書)の初期形式をなしている。江戸末期、狩谷(かりやえきさい)の考証により(1883年印刷局版)学界に知られた。橘忠兼(たちばなのただかね)は天養(てんよう)~治承(じしょう)(1144~1181)に初めて、いろは順の『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』2巻をつくるが、やがて三巻本となり、さらに『伊呂波字類抄』十巻本に拡大された。これは、和語に漢語をも加え、いろは順にしたものである。
 中世になると、類書式分類の『下学集(かがくしゅう)』2巻(1444)が東麓破衲(とうろくはのう)によって著わされたとされ、江戸時代になって流行した。室町中期には『節用集』がつくられて、伊勢(いせ)本は古くて盛んであり、ほかにも乾(いぬい)本と印度(インド)本の3系統に分かれて発展し、類書や重宝記として、庶民に愛用された。『玉篇』を日本的な『和玉篇』3巻に改めたのは文明(ぶんめい)(1469~1487)以前らしく、慶長(けいちょう)刊本以後、江戸に流行した。五山の学僧虎関師錬(こかんしれん)は、1306年(徳治1)序の『聚分韻略(しゅうぶんいんりゃく)』5巻で本邦最初の詩作韻書を編して流行した。
 江戸時代になって、ようやく言語学的・科学的な国語辞典が出現する。谷川士清(ことすが)は『和訓栞(わくんのしおり)』93巻を編したが、これは、古語から現行語までの語彙を収め、五十音順に配列して解説を加え、引用句を配したものである。1777年(安永6)に前編を刊行して中絶、1877年(明治10)後編が刊行され、1898年に、井上頼(よりくに)・小杉榲邨(こすぎすぎむら)(1834―1910)共編で改修して『増補和訓栞』を刊行した。石川雅望(まさもち)は1826~1849年(文政9~嘉永2)に『雅言(がげん)集覧』を編したが、中島広足(ひろたり)の行った改訂版は1887年に57冊で完成した。これは、古代語をいろは順に配列し、解釈に出典を記している。太田全斎の『俚言集覧(りげんしゅうらん)』26巻は稿本で伝わり、1899年に井上頼・近藤瓶城(へいじょう)(1832―1901)校訂『増補俚言集覧』となった。また、越谷吾山(1717―1787)は『物類称呼』5巻で全国の方言辞典を編した。貝原益軒(かいばらえきけん)の『日本釈名(しゃくみょう)』3巻(1700刊)、新井白石(あらいはくせき)の『東雅(とうが)』20巻(1717完成)は、ともに優れた語源辞典である。[彌吉光長]
明治以降の辞典
明治維新後、活版印刷の盛行とともに辞典も多く印刷された。まず、文部省が木村正辞(まさこと)ら10人の学者に編集させた『語彙』であるが、これは初編13冊で財政窮乏のため中絶。しかし大槻文彦(おおつきふみひこ)が西洋言語学の辞典に倣って、その事業を継ぎ1889~1891年(明治22~24)に刊行するが、これが『言海』であり、百数十版に達した。その増補は死後も大久保利男(としお)らに継がれ、東京大学国語学科の応援で『大言海』5巻となり、1932~1937年(昭和7~12)に刊行した。ほかにも、物集高見(もずめたかみ)編『日本小辞典』、高橋五郎(1856―1935)編『漢英対照いろは辞典』(1886)などがある。新形式の金沢庄三郎(しょうざぶろう)の『辞林』(1907)は朝鮮語を語源に引くなど新機軸も多い。これより遅れて、新村出(しんむらいずる)編『辞苑(じえん)』(1935)が出版された。松井簡治(かんじ)は上田万年(かずとし)に計って『大日本国語辞典』5巻を1915~1919年(大正4~8)に刊行、国語の厳正な科学的解釈を行い、引用文の適正で高く評価される。芳賀矢一(はがやいち)は落合直文(なおぶみ)の『ことばの泉』5巻(1898)を増訂して、『日本大辞典言泉(げんせん)』(1921~1929)6巻に拡大し、固有名詞も倍加した(27万語)。平凡社編『大辞典』26巻は1934~1936年に60万語を集成して百科事典的要素を加えた。さらに小学館は『日本国語大辞典』20巻を1972~1976年(昭和47~51)に完成、62万語を収録、百科事典的要素も加え、200万の引用句と用例をあげている。『辞林』は『広辞林』(1925)に増訂され、『辞海』に拡大され、現代語を主として『明解国語辞典』に展開された。『辞苑』も中型辞典で百科的要素をもつが『広辞苑』(1955)に発展していった。古語には三省堂の『時代別国語大辞典 上代編』(1967)、松岡静雄(1878―1936)編『日本古語大辞典』(1929)、丸山林平(1891―1974)編『上代語辞典』(1967)、また長島豊太郎(とよたろう)編『古字書綜合(そうごう)索引』(1958~1959)は『新撰字鏡』ほか8点の古辞典の親字索引である。ほかにも、東条操(みさお)編『全国方言辞典』(1951)、荒川惣兵衛(そうべえ)(1898―1995)編『外来語辞典』(1941、1977増訂)、楳垣実(うめがきみのる)(1901―1976)編『隠語辞典』、『朝日現代語辞典』(1972・朝日新聞社編)など種々の辞典がある。[彌吉光長]
漢語辞典
漢語の辞典は江戸時代には中国の『康煕字典』『玉篇』が用いられたが、明治時代に漢和辞典となって発展した。1868年(明治1)の荻田嘯(おぎたしょう)編『新会字解』、1885年の猪野中行(いのちゅうこう)編『明治字典』はまだ『康煕字典』の親字に熟語を加えたにすぎないが、1903年(明治36)に重野安繹(しげのやすつぐ)・三島毅(こわし)(中洲)(1830―1919)・服部宇之吉(はっとりうのきち)監修、三省堂編『漢和大字典』は『佩文韻府(はいぶんいんぷ)』系で、漢和辞典の形式を創出した。浜野知三郎(ともさぶろう)(1869―1941)編『新訳漢和大字典』(1912)は、初めて熟語を初字で配列し、尾韻配列を改め、語釈を平易にしたが、これに次いで、特色のある漢和辞典が相次いで出版された。すなわち、服部宇之吉・小柳司気太(おやなぎしげた)(1870―1940)編『詳解漢和大字典』(1916)、上田万年・栄田猛猪(さかえだたけい)(1879―1962)編『大字典』(1917)、簡野道明(かんのみちあき)編『字源』(1923)、小柳司気太編『新修漢和大字典』(1932)などである。このうち『大字典』は説文に語釈を求め、検索に大改変を行った。諸橋轍次(もろはしてつじ)編『大漢和辞典』全13巻(12巻・索引1巻)は1927~1960年にかけて完成した(1943年に第1巻刊行後、空襲による焼失で中断し、1955~1960年に全13巻を刊行)。親字5万で『康煕字典』をしのぎ、熟語52万、故事各句の引用約200万、多年の苦心の結果である。[彌吉光長]
西欧系日本語辞典
耶蘇(ヤソ)会(イエズス会)士をはじめ西欧人の日本語研究は、言語学の立場から重視されている。耶蘇会士の辞典は布教の必要のために編せられ、まず1595年(文禄4)天草のコレジオで耶蘇会版『羅葡日(らほにち)辞書』Dictionaricum Latino-Lusitanicum, ac Iaponicumが刊行された。これは、カレピノAmbrosio Calepino(1440ころ―1510)の『ラテン・イタリア対訳辞典』にポルトガル語と日本語をはめ込んだものであった。この辞典は1630年マニラでドミニコ会編『日西(にっせい)辞書』に、1632年ローマでコリャド編『羅西日対訳辞書』に改められている。耶蘇会は1598年(慶長3)『落葉集』を行書漢字・平仮名活字で刊行。810ページで漢語・和語に分け、『小玉編』を付した。1603年(慶長8)には、『日葡(にっぽ)辞書』Vocabulario lingua de Iapam com adeclaraa em Portuguesが完成、翌1604年補遺版が刊行されたが、これは『下学集』『節用集』などからのほか、当時の通用語を集めた画期的著述である。これらの事業の中心人物はロドリゲスであった。残念ながら現存しているのは世界中で1、2部にすぎない。また、パジェスはローマ版から『日仏辞典』(1862~1868)を編し、ヘボンも有名な『和英語林集成』を完成、1867年(慶応3)上海(シャンハイ)の長老派布教会印刷所American Presbiterian Mission Pressで印刷、横浜で発行した(1872再版/1886 3版・丸善)。
 オランダ系では『ハルマ和解(わげ)』がみごとに結実した。すなわち、稲村三伯(さんぱく)は1796年(寛政8)にハルマFranois Halma(1653―1722)編『蘭仏辞典』Woordenboeck der Nederduitsche en Fransche Taalen(1708)に拠(よ)って元オランダ通詞(つうじ)の石井庄助(恒右衛門)(1743―?)、宇田川玄随らと苦心して日本語に訳し、『ハルマ和解』13巻を30部印刷した。これが『江戸ハルマ』といわれるものである。1798年には森島中良(なから)(万象亭)は『類聚紅毛(こうもう)語訳』をつくり、日本語を20種に分かち蘭語を片仮名書きで印刷したが、1848年(嘉永1)に『改正増補蛮語箋(ばんごせん)』と改名して出版した。長崎ではドゥーフが吉雄権之助(よしおごんのすけ)(1785―1831)ら通詞と前述のハルマの辞典を翻訳して、『道訳法爾馬(ドゥーフ・ハルマ)』8巻を1816年(文化13)幕府に献上し、さらに訂正に努力するよう内命を受け、通詞11人が加わった。これを『長崎ハルマ』という。これにウェイランドPetrus Weiland(1754―1841)の辞典を参照して、桂川甫周(ほしゅう)が『和蘭字彙(オランダじい)』12巻をつくり、1855~1858年(安政2~5)に出版した。[彌吉光長]
英語辞典
英語辞典は初期はオランダ系、のちにはアメリカ系となっている。通詞本木庄左衛門(もときしょうざえもん)(1767―1822)は幕命でブロンホフJan C. Blomhoff(1779―1853)の援助を受け、『暗厄利亜(アンゲリア)国語和解』を編し、1814年(文化11)に増訂して『暗厄利亜語林大成』と改題した。村上英俊(ひでとし)は1854年(嘉永7)『三語便覧』を刊行し、英語・フランス語・オランダ語3語に日本語を対照させ、同年さらにラテン語を加えて『五方通語(ごほうつうご)』3巻に増訂した。1862年(文久2)、蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で堀達之助(1823―1894)らは『英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書』を同調所版とし、1867年(慶応3)に再版を行ったが、この原本はピカールH. Picard(1810―1858?)編『新英蘭・蘭英袖珍辞典』1857年版であった。次にイギリス系は、バタビアで宣教師メドハーストWalter Henry Medhurst(1796―1857)が『英日・日英辞典』An English and Japanese and Japanese and English Vocabularyを1830年(天保1)に発行したのが最初である。彼は日本にきたこともなく、ただ文献で研究したのであった。メドハーストの辞典は1857年に『英語箋』として前編3巻が井上修理(しゅり)校正で、また1863年に後編4巻が室岡東洋ら校正で翻刻された。アメリカ系では、柴田昌吉(しょうきち)(1841―1901)と子安峻(こやすたかし)(1836―1898)共訳『英和字彙』を1873年(明治6)日就社版で出版し、挿画入りで有名になった。原本はオージルビーJohn Ogilvie(1797―1867)編『総合英語辞典』Comprehensive English Dictionary(1863)であった。次にイーストレーキF. Warrington Eastlake(1858―1905)と棚橋一郎共訳『ウエブスター氏 新刊大辞書 和訳字彙』を1888年三省堂から出版、さらに和田垣謙三(わだがきけんぞう)(1860―1919)編『新英和辞典』(1901)、神田乃武(ないぶ)他編『新訳英和辞典』(1902)、斎藤秀三郎編『熟語本位英和中辞典』(1925)、岡倉由三郎(よしさぶろう)編『新英和大辞典』(1927。研究社は1980年に23万語の大辞典とした)と続いた。[彌吉光長]
ドイツ語辞典
ドイツ語は、1871年(明治4)の中村雄吉訳『普語(ふご)箋』に始まり、木村謹治・相良守峯(さがらもりお)編『独和辞典』(1940)から、相良守峯編『大独和辞典』(1958年版14万語)となった。また、もっとも新しいものとして国松孝二(1906―2006)他編『独和大辞典』(1985年版15万語)がある。[彌吉光長]
フランス語辞典
フランス語は、1871年(明治4)ニュジャンThomas Nugent(?―1772)編・好樹堂(こうじゅどう)(岡田好樹、1848―1926)訳『官許・仏和辞典』(上海美華書院)に始まった。野村泰亨(やすゆき)(1852―1935)訳『仏和字彙』4巻は、1886~1889年にリトレの簡約版を訳したもの。白水社版『模範仏和大辞典』(1931)は『小図解ラルース』を拡大したものであった。また鈴木信太郎・朝倉季雄(すえお)(1909―2001)他編『スタンダード仏和辞典』は約10年の苦心の結果、1957年(昭和32)に出版された(7万語弱)。そのほか、伊吹武彦他編『仏和大辞典』(1981年版8万語弱)がある。[彌吉光長]
『小林英夫編『私の辞書』(1973・丸善) ▽惣郷正明著『辞書風物誌』(1973・朝日新聞社) ▽永嶋大典著『英米の辞書――歴史と現状』(1974・研究社出版) ▽見坊豪紀著『辞書をつくる』(1976・玉川大学出版部) ▽加島祥造著『英語の辞書の話』(1976・講談社) ▽川瀬一馬著『古辞書概説』(1977・雄松堂書店) ▽福本和夫著『私の辞書論』(1977・河出書房新社) ▽山田忠雄著『近代国語辞書の歩み――その摸倣と創意と』上下(1981・三省堂) ▽加藤康司著『辞書の話』(中公新書) ▽山田俊雄著『日本語と辞書』(中公新書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の辞典の言及

【辞書】より

…ただし実際にはこのすべてを集成していないものがあり,また百科事典のように,単語の意味よりもむしろ事柄の内容を主としたものや,索引のように,たんに用例を示すだけのものをも含めていう場合もある。辞典,字書,字典,字引などともいう。
[種類]
 (1)分類配列の基準によって,(a)文字(ローマ字,漢字,仮名など)を基にして,それから発音や意味などを知りうるようにしたもの,(b)発音を基にして,それから文字や意味などを知りうるようにしたもの,(c)意味によって分類して,それから文字や発音などを知りうるようにしたもの,に大別できる。…

【事典】より

…言葉の発音や解釈を行うものを辞典dictionary(辞書)というのに対して,事項・事件の記述をするものを事典encyclop(a)ediaという。しかし必ずしも厳密には区分されずに,西洋でも《グローブ音楽辞典Grove’s Dictionary of Musics and Musicians》のように,事典でありながらdictionaryと称するものも多い。…

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