楢林栄建(読み)ならばやしえいけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「楢林栄建」の意味・わかりやすい解説

楢林栄建
ならばやしえいけん
(1801―1875)

蘭方医(らんぽうい)。長崎の蘭方医楢林栄哲(高連)の長男。名は恭(初め栄祐)、字(あざな)は子良、号は静山・椿陰、諱(いみな)は高秀。町年寄高島秋帆(しゅうはん)(1798―1866)と親しく、シーボルト師事。牛痘苗を1839年(天保10)に入手、弟宗建とその普及に尽くした。秋帆の禁固事件の連累を避け、1842年上洛(じょうらく)。門人日野鼎哉(ていさい)宅に寄寓(きぐう)、のち洛北、大津、さらに京都へ移り富小路(とみのこうじ)三条上ルに開業。新宮凉庭(しんぐうりょうてい)らとも交遊。著作に『西洋火薬表』『西洋軍艦表』『掌中医方』などがある。没後、京都東大谷に葬られ、のち東山区縄手三条三縁寺に移葬された。

[末中哲夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「楢林栄建」の解説

楢林栄建 ならばやし-えいけん

1800-1875 江戸後期-明治時代の蘭方医。
寛政12年5月生まれ。楢林宗建の兄。シーボルトにまなび,佐賀藩医となる。のち家督を弟にゆずって京都で開業し,種痘法をひろめる。維新後,京都府の種痘医となった。明治8年11月25日死去。76歳。肥前大村(長崎県)出身。名は高秀,恭。字(あざな)は子良。号は静山,椿陰。著作に「掌中医方」など。

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