日本大百科全書(ニッポニカ) 「日野鼎哉」の意味・わかりやすい解説
日野鼎哉
ひのていさい
(1797―1850)
江戸末期の蘭方(らんぽう)医。豊後(ぶんご)国(大分県)の人。暁碧、蔭香と号した。初め郷里で帆足万里(ほあしばんり)に師事した。1824年(文政7)長崎に行き、シーボルトにオランダ医学を学んだ。のち京都で開業。弟子の笠原良策(かさはらりょうさく)(白翁)とともに牛痘種痘の実現を図っていたが、1849年(嘉永2)長崎のオランダ商館医モーニケが牛痘苗の接種に成功すると、日野はその痘苗(モーニケ苗)を入手し、京都で孫や懇意の人の子に接種して植え継ぐことに成功した。同年、京都新町に除痘館を開き、牛痘接種を行った。また日野の植え継いだ痘苗は笠原良策により越前(えちぜん)国(福井県)に、緒方洪庵(おがたこうあん)により大坂に分苗され、それぞれ普及された。著書に『白神除痘弁』がある。
[大鳥蘭三郎]