日本歴史地名大系 「楽内村」の解説 楽内村らくうちむら 福島県:田村郡三春町楽内村[現在地名]三春町楽内蛇沢(へびさわ)川上流域で、北西は三春城下の庚申坂(こうしんざか)・化粧坂(けはいざか)・番組頭(ばんぐみがしら)・尼(あま)ヶ谷(や)に隣接。秋田氏入封後、行政上は正保二年(一六四五)の在々屋敷数家数并人数(三春町史)では、城下の南(みなみ)町・山中(さんちゆう)などと一括される。万治二年(一六五九)の村高覚(福島県史)でも芹(せり)ヶ沢(さわ)村とともに三春町に一括。享保四年(一七一九)の取箇并人数(三陽骨要集)では本田高六〇石、三春町支配、楽内と書分ける。会津藩領時代以来町検断、寛永二一年(一六四四)には幕府領代官の下代を勤めた大(おお)町武田源五右衛門が享保七年文書偽造の罪で追放されたため、貝山(かいやま)村、次いで込木(くぐりき)村支配に替えられたが、同一〇年に当村と芹ヶ沢村の惣百姓の嘆願により再び町方支配、同一五年再度込木村支配、天保一三年(一八四二)三度町方支配となる(三春町史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報