「古今集‐恋五」の「暁のしぎのはねがき百はがき君が来ぬ夜は我れぞ数かく〈よみ人しらず〉」の「しぎのはねがき」を、「しぢのはしがき」とした本によって作られた伝説であると「袖中抄」にある。深草少将と小野小町、あるいは藤原鳥養(とりかい)と藤原永平(ながひら)の娘との物語として流布した。しかし、「古今集」の有力伝本に「しぢのはしがき」の本文はなく、歌意も「鴫の羽がき」が自然で、「榻」説はこじつけか。ただ、平安鎌倉期歌人に広く知られ、「思ひきやしぢのはしがきかきつめて百夜も同じまろ寝せんとは〈藤原俊成〉」〔千載‐恋二〕などと詠まれた。藤原定家も「古今集」の本文としては退けた上で、「榻の端書き、捨つべからず」〔顕注密勘〕と言う。