日本歴史地名大系 「槻並村」の解説 槻並村つくなみむら 兵庫県:川辺郡猪名川町槻並村[現在地名]猪名川町槻並万善(まんぜん)村の北に位置し、北東は能勢(のせ)郡長谷(ながたに)村(現大阪府能勢町)。槻並川が南流し、万善村の東部を南東流してきた猪名川と合流する。〔中世〕多田(ただ)庄のうちで、弘安元年(一二七八)頃と考えられる金堂上棟引馬注進状(多田神社文書)に散所御家人分として「一疋下 槻並五人 寄合」とある。正和五年(一三一六)一〇月一三日の多田院堂供養指図(同文書)では多くの警固の御家人のなかに「槻並六人」と記されている。多田院(現川西市)の応安元年(一三六八)四月八日の金堂供養棟別銭注文に「槻並」とある。永和元年(一三七五)七月二五日の諸堂造営棟別銭郷村注文(同文書)によると、槻並村の九三家が多田院の法花堂・常行堂・地蔵堂造営のための棟別銭を納めている。永享三年(一四三一)槻並村の平瀬三郎左衛門尉や中池新左衛門尉などが摂津・丹波の幕府軍に攻撃をうけて降参し、当村にある両人の所領はかまいなしとされた(六月一八日「室町幕府奉行人連署奉書写」御前落居奉書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by