20世紀日本人名事典 「横尾輝吉」の解説
横尾 輝吉
ヨコオ テルキチ
- 生年
- 安政2年5月4日(1855年)
- 没年
- 大正8(1919)年5月21日
- 出生地
- 下野国上都賀郡鹿沼町(栃木県鹿沼市)
- 旧姓(旧名)
- 角田
- 学歴〔年〕
- 東京専門学校
- 経歴
- はじめ実業を営むが、独学して上京し、東京専門学校に入学。のち自由民権運動に加わり、国会開設を主張して郷里栃木県都賀に都賀演説会を興した。明治15年栃木県議に当選、大隈重信の立憲改進党に所属し、また田中正造らとともに栃木改進党を結党。栃木県庁移転問題では、移転派の三島通庸知事と対立。25年足尾鉱山鉱毒事件が問題化すると、仲裁委員として鉱山を経営する古河財閥と地域民の間を周旋し、わずかな金銭で両者を示談させた。27年県会議長に選出され、2期を務めた。35年衆院議員となるが、間もなく解散のため失職し、栃木県議に復帰。44年には再び同県会議長となり、栃木における改進党系の領袖として自由党系の勢力を抑えた。45年立憲国民党より衆院選に出馬し当選。のち立憲同志会に所属し、大正4年の衆院選で再選された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報