古河財閥(読み)ふるかわざいばつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

古河財閥
ふるかわざいばつ

明治の実業家古河市兵衛により築かれた財閥足尾銅山を中心とした鉱業を基軸に発展し,古河鉱業持株会社として直系傍系を合せた支配会社は 84社に上り,その主力は鉱業,機械,金属,化学の4部門であった。第2次世界大戦後財閥解体で分割されたが,直系の有力会社には古河電気工業,系列企業には富士電機製造,横浜護謨製造 (現横浜ゴム ) ,日本軽金属,富士通信機製造 (現富士通 ) などがあった。解体後は戦後の復興期に「三水会」を結成,古河グループ再編成が進められ,第一勧業銀行グループの中心企業として旧古河財閥系の各社が名を連ねた。

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百科事典マイペディアの解説

古河財閥【ふるかわざいばつ】

古河市兵衛創始の金属鉱業を基盤に形成された財閥。足尾鉱山の開発に成功して発展。発展のかげで足尾鉱毒事件が起き,それを契機に2代目古河潤吉が組織改革を行い1905年古河鉱業(古河機械金属)を設立。以後金属加工,電機,化学など経営を多角化。直系・傍系80数社を支配。1920年の恐慌期にその勢いは少し衰えるが,満州事変後の軍需景気で復活。第2次大戦後,財閥解体により古河家の支配は排除されたが,古河電気工業日本軽金属富士通横浜ゴム第一勧業銀行などの〈古河三水会〉を中心とした古河グループを形成。
→関連項目朝日生命保険[相互会社]ジーメンス[会社]

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世界大百科事典 第2版の解説

ふるかわざいばつ【古河財閥】

古河市兵衛を創業者とし,潤吉,虎之助,従純の4代にわたり古河家支配下にあった事業経営体。足尾鉱山を中心とする産銅業を基盤に発展し,電線,伸銅などの金属加工業を含めて主業とした企業グループで,初代市兵衛は電気精銅・銅線製造,炭鉱経営にも進出したとはいえ,鉱山専業の経営方針を貫き,経営組織も個人経営的なものにとどまっていた。古河財閥の発展の基礎を築いたのは足尾鉱山の開発が成功したことであり,これによって1880年代末には日本最大の産銅家に成長した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

古河財閥
ふるかわざいばつ

鉱山王古河市兵衛(いちべえ)が創設した財閥。足尾銅山の産銅とその加工を中心に発展した。市兵衛時代、古河の産銅量は日本の首位になったが、反面、経営の多角化は立ち後れた。さらに足尾銅山鉱毒事件の発生や市兵衛の死などによって、その事業経営は消極的になった。しかし第一次世界大戦中の好況期には、旭(あさひ)電化工業、横浜護謨(ゴム)製造(現横浜ゴム、古河銀行、古河商事、古河鉱業(現古河機械金属)などの新しい株式会社を創立し、帝国生命(朝日生命の前身)を傘下に収め、多角化を積極的に進めた。その後、古河商事、古河銀行は解散するに至ったが、直系の有力会社、古河電気工業が富士電機製造や日本軽金属などを設立し、これによって重工業部門が強化された。多角的事業経営の進行に伴い、1917年(大正6)には持株会社の古河合名が新設され、諸事業の総合的な統轄機関となった。しかし古河合名は33年(昭和8)古河鉱業(現古河機械金属)の金属部門を譲り受けて古河鉱業合名と改称。37年には新たに古河合名が設立し、古河鉱業合名を合併、さらに41年には古河石炭礦業(こうぎょう)を合併して古河鉱業株式会社となった。このように本社機構がめまぐるしく変化したこと、事業会社が本社であったことは古河財閥の特色であって、古河鉱業の本社的性格は相対的に弱く、直系会社の自主性が強かった。終戦時には古河鉱業(現古河機械金属)のもとに直系会社10社、傍系会社13社、準傍系会社60社をもっていた。財閥解体後の古河グループでは古河電気工業系の富士電機グループ、富士通などの活躍が目覚ましい。[杉山和雄]

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