橋本勘五郎 はしもと-かんごろう
1822-1897 江戸後期-明治時代の橋梁技術者。
文政5年生まれ。肥後種山(たねやま)(熊本県東陽村)の石工(いしく)。石造の眼鏡(めがね)橋をつくるのにすぐれ,嘉永(かえい)7年矢部の通潤(つうじゅん)橋(重文)建設の功で名字帯刀をゆるされる。明治4年土木寮にまねかれ,のち皇居の旧二重橋,日本橋などをかけた。明治30年7月17日死去。76歳。通称は種山丈八。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の橋本勘五郎の言及
【東陽[村]】より
…ショウガの産地としても知られる。江戸末期から明治にかけて全国各地に多くの眼鏡橋をかけた種山石工の出身地で,橋本勘五郎は皇居の旧二重橋を造っている。【松橋 公治】。…
※「橋本勘五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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