日本歴史地名大系 「橋目村」の解説 橋目村はしめむら 愛知県:岡崎市橋目村[現在地名]岡崎市橋目町矢作川右岸の沖積低地が北野(きたの)に突当たる南一帯の低い自然堤防上の集落と碧海(へきかい)台地の崖端上の通称荒居(あらい)の集落からなる。荒居の西には、長瀬(ながせ)七ヵ村の入会山となった二七メートルほどの通称長瀬山の小高地がある。近世を通じて岡崎藩領で上野手永に属す。寛永郷帳の村高三八九石余。享和二年書上には人別四四五人、うち男二一四・女二三一、馬五匹。岡崎城下の伝馬(てんま)町高札場まで一里一九町とある。長瀬山は低地にある北野・森越(もりこし)・舳越(へごし)・橋目・中園(なかぞの)・大友(おおとも)・小針(こばり)の長瀬七ヵ村と柿崎(かきさき)村(現安城市)の百姓にとって肥料・飼料・燃料の供給地であった。 橋目村はしめむら 愛知県:安城市橋目村[現在地名]安城市橋目町南は柿崎(かきさき)村、西は宇頭茶屋(うとうぢやや)村に隣する。明治(めいじ)用水中井(なかい)筋から分れた高根(たかね)用水が村を南流する。幕府領から岡崎領に替わった明和七年(一七七〇)の村高六六四石九斗七升三合、うち新田畑一四三石八斗七升四合(岡崎管内記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by