日本歴史地名大系 「柿崎村」の解説
柿崎村
かきざきむら
北国街道に沿った日本海沿岸の村で、柿崎川河口右岸に発達した宿場町。東は田」などとみえ、資家より子の資宗に譲られている。永禄一二年(一五六九)越相講和のため越後入りした北条氏康の使者天用院らは、五月二三日に柏崎を発ち、翌二四日に当地へ着く予定であると報告されている(五月一八日「進藤家清書状」伊佐早謙氏所蔵文書)。天正七年(一五七九)四月、上杉景勝は「柿崎町人等」に対し、浜筋を往復する伝馬・宿送などは印判を所持する者にのみ応じるよう命じている(「上杉景勝朱印状」相沢清右衛門氏所蔵文書)。
柿崎村
かきさきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報