日本歴史地名大系 「橘木村」の解説 橘木村たちばなぎむら 大分県:直入郡直入町橘木村[現在地名]直入町上田北(かみたぎた) 辻(つじ)・原山(はるやま)・石原(いしはる)・草深(くさぶか)・台(だい)二俣(ふたまた)村の北、二又瀬(ふたまたせ)川上流域に位置。田北氏の祖親泰が嘉禎二年(一二三六)父大友親秀から所領を譲与され、翌三年安堵の将軍家下文に「橘木」がみえる(「大友田北氏系図」田北赳夫本)。江戸時代には幕府領直入郡一二ヵ村の一で、領主の変遷は井手野(いでの)村と同じ。 橘木村たちばなきむら 大分県:直入郡荻町橘木村[現在地名]荻町柏原(かしわばる)山崎(やまさき)川(岩戸川)の支流橘木川沿いの台地上にある。応仁二年(一四六八)小出対馬守という者が柏原之郷橘木邑へ浪人としてやってきて過ごしていたという(寛政八年「勤仕歴代調書」垣田家文書)。垣田氏系譜(同文書)秀守の条に、応仁三年「秀景ノ霊夢ニ依テ今之宮園ノ地ニ社ヲ遷ス祠ヲ橘木社ト称ス」とあり、「豊後国志」によると、柏原郷にある橘木明神祠は文明年中(一四六九―八七)に垣田秀実の孫秀守が今の地に移し橘木明神と称したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by