檜隈墓(読み)ひのくまのはか

日本歴史地名大系 「檜隈墓」の解説

檜隈墓
ひのくまのはか

[現在地名]明日香村大字下平田小字ムネ

現治定欽明天皇檜隈坂合ひのくまさかあい陵西南に位置し、皇極(斉明)天皇・孝徳天皇母の吉備姫王の墓とされる。

「日本書紀」皇極天皇二年九月条に吉備姫が没したことがみえる。同書には、姫は死後八日にし檀弓まゆみ岡に葬られたというが、「延喜式」(諸陵寮)に所在を「高市郡檜隈陵域内」としている。現在治定されている古墳は、周囲八三メートル、面積四三六平方メートルの円墳。俗に金鳥きんちよう塚と称されている。墓域内に猿石とよばれる石像四体がある。

猿石は、元禄一五年(一七〇二)一〇月五日、現欽明天皇陵の南側小字池田いけだから出土し、一時欽明陵内に置かれていたが、のちに当墓に移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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