歌志内村(読み)うたしないむら

日本歴史地名大系 「歌志内村」の解説

歌志内村
うたしないむら

[現在地名]歌志内市字本町ほんちよう・字東光とうこう・字上歌かみうた・字歌神かしん・字神威かもい・字中村なかむら・字文珠もんじゆ・字新歌しんうた・字西山にしやま芦別南一条西みなみいちじようにしなど、赤平泉町いずみちようなど

明治三〇年(一八九七)七月一日、奈江なえ村から分村して成立し、昭和一五年(一九四〇)まで存続した空知郡の村。「丁巳日誌」(再石狩日誌)に「ヲタシナイ」として「相応の川のよしなり」などとみえる。明治二三年四月、北海道炭礦鉄道会社(北炭)はペンケ歌志内川の支流沿いに空知採炭(空知鉱)を設置し、採炭に着手した。同時に鉄道敷設にも着手し、翌二四年七月、岩見沢―歌志内間(空知炭山支線)を開通させた。空知鉱選炭機と歌志内駅間一・四キロは引込線で結んだ。同年、神威鉱も開鉱し、その石炭輸送のため同二九年一二月に神威駅が設置され、二本の索道、二本の引込線が敷かれた(歌志内の開拓と鉄道)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報