正吉村(読み)まさよしむら

日本歴史地名大系 「正吉村」の解説

正吉村
まさよしむら

[現在地名]佐用町延吉(のぶよし)

平福(ひらふく)村の北、佐用川上流域に位置する。平福宿を出た因幡道は当地で進路を西に変え、新田(しんでん)坂越で豊福(とよふく)村に至り、江川(えかわ)川の谷へ入り北進する。慶長国絵図に「正古村」とみえる。江戸期の領主の変遷は平福村に同じ。正保郷帳では田方二〇五石余・畠方六六石余、芝山、小松有と注記される。


正吉村
まさよしむら

[現在地名]勝山町正吉

旭川北岸のなだらかな河岸段丘上に位置し、岡(おか)村の北西にあたる。西は神庭(かんば)村、北は竹原(たけばら)山塊。正保郷帳に村名がみえ、田高三六石余・畑高三九石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では村位は下、改出高三五石余・開高九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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