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正親町三条実雅 おおぎまちさんじょう さねまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

正親町三条実雅 おおぎまちさんじょう-さねまさ

1409-1467 室町時代の公卿(くぎょう)。
応永16年生まれ。正親町三条公雅(きんまさ)の子。永享4年参議となり,長禄(ちょうろく)元年内大臣にすすむ。従一位。嘉吉(かきつ)の乱の際,将軍足利義教に陪席していて負傷した。寛正(かんしょう)2年出家して青蓮華院(しょうれんげいん)入道と称した。応仁(おうにん)元年9月3日死去。59歳。法名は常禧(じょうき)。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

正親町三条実雅

没年:応仁1.9.3(1467.10.1)
生年:応永16(1409)
室町前期の公卿。父は贈内大臣公雅。没後,青蓮華院入道前内大臣と称される。法名は常禧。応永20(1413)年従五位下に叙せられ侍従に任官して以降,右少将,蔵人頭,参議,権中納言などを歴任,嘉吉1(1441)年権大納言,長禄1(1457)年に内大臣へと進むが翌年これを辞す。寛正2(1461)年出家。妹が室町幕府の将軍足利義教の側室であったことから足利氏とのつながりが深く,嘉吉の変(1441)では,義教に陪席していたため負傷した。このとき実雅は太刀を抜いて防戦につとめたという。

(小森正明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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