朝日日本歴史人物事典 「清原業忠」の解説
清原業忠
生年:応永16(1409)
室町時代の儒学者。清原家儒学中興の祖。宗業の子,良賢の孫。号は環翠軒。初名良宣。はじめ南朝の尹良親王に属して主水正に任ぜられ,応永34(1427)年尾張津島に移り,一時吉野にもいたが,のちに京都に帰り後花園天皇の侍読として仕え,天下の学者は皆業忠を師とし,清原の学大いに興るといわれた。大膳大夫,大炊頭を経て明経博士に補せられ,内昇殿を許された。次いで従四位上に叙せられ,直講,大外記に任ぜられた。宝徳1(1449)年少納言に任ぜられ,康正1(1455)年6月には家例を破り,生前に従三位に叙せられ昇殿を許された。長禄1(1457)年には大蔵卿に任じ,翌2年正三位に叙せられたが,これを機に剃髪した。法名常忠。その学風は,業忠の講義を聞いた天隠の『論語抄』によると,古注に朱子の新注を加味したものであった。
(山崎誠)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報