清原業忠(読み)きよはらのなりただ

朝日日本歴史人物事典 「清原業忠」の解説

清原業忠

没年応仁1.4.28(1467.5.31)
生年:応永16(1409)
室町時代の儒学者清原家儒学中興の祖。宗業の子,良賢の孫。号は環翠軒。初名良宣。はじめ南朝の尹良親王に属して主水正に任ぜられ,応永34(1427)年尾張津島に移り,一時吉野にもいたが,のちに京都に帰り後花園天皇侍読として仕え,天下の学者は皆業忠を師とし,清原の学大いに興るといわれた。大膳大夫,大炊頭を経て明経博士に補せられ,内昇殿を許された。次いで従四位上に叙せられ,直講,大外記に任ぜられた。宝徳1(1449)年少納言に任ぜられ,康正1(1455)年6月には家例を破り,生前に従三位に叙せられ昇殿を許された。長禄1(1457)年には大蔵卿に任じ,翌2年正三位に叙せられたが,これを機に剃髪した。法名常忠。その学風は,業忠の講義を聞いた天隠の『論語抄』によると,古注に朱子の新注を加味したものであった。

(山崎誠)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「清原業忠」の意味・わかりやすい解説

清原業忠 (きよはらなりただ)
生没年:1409-67(応永16-応仁1)

室町中期の学者。父宗業,もと良宣,のち業忠と改名。号環翠軒,法名常忠。明経道を家学とする清原家に生まれ,その学識は高く評価されて〈天下の学者は皆之を師とす〉とまでいわれた。法制にも明るく,明法家の中原・坂上両家が衰微すると彼の学説が重んぜられるようになり,細川勝元の請により,初めて貞永式目を講じ,また《貞永式目聞書》を著している。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清原業忠」の解説

清原業忠 きよはらの-なりただ

1409-1467 室町時代の儒者
応永16年生まれ。家学の明経(みょうぎょう)道をまなぶ。後花園天皇の侍読をつとめ,足利義政らも聴聞し,当代最高の学者と評される。清原家ではじめて生前に従三位をうけ,正三位,大蔵卿にすすんだ。応仁(おうにん)元年4月28日死去。59歳。初名は良宣。号は環翠軒。著作に「永享大饗(えいきょうだいきょう)記」。

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