日本歴史地名大系 「武本村」の解説 武本村たけもとむら 鹿児島県:出水市武本村[現在地名]出水市麓町(ふもとちよう)・昭和町(しようわまち)・本町(ほんまち)・武本・大野原町(おおのはらちよう)・向江町(むかえまち)・中央町(ちゆうおうちよう)現出水市域の南西部、紫尾(しび)山の北麓に位置する。村域は米(こめ)ノ津(つ)川の支流、平良(たいら)川・鍋野(なべの)川の流域を占め、平坦地は北部の河川沿いに広がる。西は高尾野(たかおの)郷大久保(おおくぼ)村(現高尾野町)など、北は下知識(しもちしき)村、東は上鯖淵(かみさばぶち)村・下大川内(しもおおかわうち)村。武元とも書いた(享保七年「検地日誌」出水市歴史民俗資料館蔵など)。「出水名勝志」は「往古竹村と為申由、其後竹本と相唱、竹元と書伝候」と記し、麓・麓町のほかに向江・武元・江川野(えがわの)・栗毛野(くりげの)・丸塚(まるつか)・平岩(ひらいわ)・湯原(ゆはら)・小原(おばる)・宇津野々(うつのの)(宇都野々)・君名川(きみながわ)・折尾野(おりおの)・鍋野・帆木上(ほぎのうえ)の枝村一四ヵ村をあげ、さらに麓の枝村として小松(こまつ)・西之口(にしのくち)をあげている。初めは上・下の大川内村も当村のうちであったが、両村は元和(一六一五―二四)頃大川内村として当村から分村した。中世には和泉庄のうちで推移したと考えられ、地内の亀(かめ)ヶ城(出水城)は同庄の下司和泉兼保(伴姓肝付氏系)の築城とか、同氏の一族椙(杉)氏の居城であったともいわれる(「薩隅日三州他家古城主来由記」「三国名勝図会」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by