出水郷(読み)いずみごう

日本歴史地名大系 「出水郷」の解説

出水郷
いずみごう

出水郡の東部を占めた外城で、鹿児島藩直轄領。藩を代表する外城で、出水郡の政治・経済・文化の中心であった。西はおおむね高尾野たかおの郷と境界をなし、一部で野田のだ郷・阿久根郷と接する。南は伊佐郡宮之城みやのじよう郷・鶴田つるだ郷、東は同郡大口郷・羽月はつき(現大口市)と接し、北西は海(八代海)、北は肥後国境で同国熊本藩領と対峙していた。郷の成立当初は野田郷および海を隔てて北西方長島郷を含んでいたが、両郷は明暦三年(一六五七)分郷した(出水記)。発足は出水郡が島津氏領に復した慶長四年(一五九九)で、初代地頭には島津義久・家久の家老を勤めた本田正親が任じられた。以後、明治四年(一八七一)廃藩置県に至るまで地頭は四五代を数える。五代までは居地頭であったが、六代からは遥任となり、当地には地頭代を置いた(出水記)。三代地頭の山田有栄(昌巌)は出水郷士の士風を興し、士民に善政を施したことなどで知られる。地頭仮屋は郷の中央部、武本たけもと村に置かれ、その周辺部に麓が形成されていた。

当郷は初め武本村知識ちしき村・鯖淵さばぶち村の三ヵ村で構成されていたが(のちの野田郷・長島郷の郷域は除く)、元和(一六一五―二四)頃武本村から大川内おおかわうち村が分村し、さらに寛永(一六二四―四四)頃大川内村が上大川内村・下大川内村の二ヵ村に、知識村が上知識村・下知識村・しよう村、西目にしめ(現阿久根市など)の四ヵ村に、鯖淵村が上鯖淵村・下鯖淵村・六月田ろくがつだ村の三ヵ村にそれぞれ分村、享保一九年(一七三四)には西目村から江内えうち(現高尾野町)が分村して一一村となった。野町はふもと(武本村)で、こめ(下鯖淵村)今釜いまがま(下知識村)・荘町(荘村)は浦町であった。浦浜には名護なご福之江ふくのえ(下知識村)蕨島わらびしま(荘村)野口のぐち尾之島おのしま(江内村)脇本わきもと黒浜くろのはま(黒之浜、西目村)の七ヵ浦があり、米ノ津・今釜・荘の三ヵ所の浦町と合せて出水一〇ヵ浦ともいわれた(「出水郷土誌」など)

出水郷
いずみごう

和名抄」は高山寺本・東急本とも訓を欠く。長承二年(一一三三)正月二七日付官宣旨案(醍醐雑事記)に「大野郡内泉郷」とみえるものと考えられ、中世いずみ庄の母体になったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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