武田俊光(読み)タケダ トシミツ

20世紀日本人名事典 「武田俊光」の解説

武田 俊光
タケダ トシミツ

大正・昭和期の放射線医学者



生年
明治32(1899)年3月1日

没年
昭和47(1972)年9月20日

出生地
鹿児島県樋脇町

学歴〔年〕
岡山医科大学付属医学専門部〔大正11年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和6年〕

経歴
岡山医科大副手として物理療法科に勤務し、大正14年レントゲン学研究のため欧米留学。帰国後の昭和2年岡山医科大講師となる。助教授を経て、21年教授となるが、その間の17年には日本放射線医学会会長に就任。29年岡山大医学部教授となり、岡山医科大教授も兼任し、日本医学放射線学会会長に就任。32年岡山大学医学部に診療エックス線技師学校を設立して校長となる。39年退官し、以後、癌源研究所実験治療部門主任などを歴任著書に「レントゲン技術」「レントゲン治療学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田俊光」の解説

武田俊光 たけだ-としみつ

1899-1972 大正-昭和時代の放射線医学者。
明治32年3月1日生まれ。昭和21年岡山医大教授,29年岡山大教授。がん放射線治療の研究で知られ,日本医学放射線学会会長をつとめた。昭和47年9月20日死去。73歳。鹿児島県出身。岡山医大卒。著作に「レントゲン技術」「レントゲン治療学」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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