日本歴史地名大系 「武田家将士起請文」の解説
武田家将士起請文
たけだけしようしきしようもん
原本 長野県上田市生島足島神社
成立 永禄九―一〇年
解説 永禄九・一〇両年付血判起請文で現存八四通。永禄九年、箕輪城に長野業政を攻め滅ぼして西上野を制圧した武田信玄が、甲州・信州・西上州の在地領主に提出を命じ信玄への忠誠を誓約させたもの。西上州関係のもの(二六通)はすべて永禄一〇年八月七日付であり、高山・小幡・一宮・高田・安中・後閑・和田・海野・飯島・浦野ら個人名で提出した武将や、海野衆・安中衆・高山衆・山中衆・南牧衆および小幡親類中・浦野被官共・鉄砲衆など同族・主従や地縁集団が連名で差出したものもみられる。なお小幡氏の場合は、小幡信真に対する忠誠を誓っているものが多い。料紙の熊野牛王宝印も多様性に富み、神文の神社にも地域性があるが、神前で早急に作成され奉納されたものと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報