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箕輪城 みのわじょう

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日本の城がわかる事典の解説

みのわじょう【箕輪城】

群馬県高崎市(旧箕郷(みさと)町)にあった戦国時代の平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。関東管領山内上杉氏の被官であった有力国人の長野氏の居城。1512年(永正9)に長野業尚に、あるいは1526年(大永6)、業尚の子の信業によって築城されたといわれている。1552年(天文1)、小田原北条氏の攻勢により、平井城(藤岡市)の関東管領上杉憲政長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って越後に逃亡した後、箕輪城主の長野業政(業正とも)は西上野の国人衆の盟主として、北条氏や武田氏に対抗した。業政の死去後、その子業盛が家督を継いだが、西上野の城が武田氏の攻勢で落城して箕輪城は孤立、1566年(永禄9)、武田勢の総攻撃により、城主の業盛は自刃、落城した。この後、箕輪城は武田氏の上野経営の拠点となり、甘利昌忠真田幸隆(幸綱)、浅利信種、内藤昌豊(昌秀)ら武田家重臣が城代をつとめた。武田家滅亡後は北条氏の城となり、1590年(天正18)の小田原の役で、前田利家上杉景勝ら豊臣方の諸将の攻撃を受けて開城した。徳川家康が江戸に入ると、井伊直政が12万石で入城。直政は同城を近代城郭に改修したが、1598年(慶長3)に、家康の命により直政が高崎城(高崎市)に居城を移したことにより廃城となった。JR高崎駅から箕郷行きバス約30分で箕郷本町下車、徒歩約20分。または、伊香保温泉行きバス約30分で城山入口下車、徒歩約5分。

出典|講談社
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世界大百科事典内の箕輪城の言及

【箕郷[町]】より

…南は高崎市に接する。中心集落の西明屋(にしあきや)には室町末期に上杉氏の家臣長野氏によって箕輪城が築造され,城下町がつくられた。1598年(慶長3)廃城となったが,城下町の町並みのなごりは今もとどめている。…

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