日本歴史地名大系 「母袋村」の解説 母袋村もたいむら 山形県:尾花沢市母袋村[現在地名]尾花沢市母袋鶴巻田(つるまきた)村の東、丹生(にゆう)川右岸に位置し、鍋越(なべこし)峠越の街道に沿って発達した。東は同峠を越え陸奥国加美(かみ)郡(現宮城県加美郡)、南は上・下の柳渡戸(やなぎわたりど)村。坂本(さかもと)で寒風沢(さぶさわ)越仙台道から別れ鍋越峠を越える道は母袋街道ともよばれ、村山地方と陸奥国加美郡とを結ぶ要路である。陸奥国側では中羽前(なかうぜん)街道とも称した。「続日本紀」天平九年(七三七)四月一四日条によると陸奥按察使大野東人は多賀(たが)柵(現宮城県多賀城市)から秋田の出羽柵への直路を開くべく、奥羽山脈を越え、尾花沢盆地一帯に比定される大室(おおむろ)駅に至った。 母袋村もたいむら 岐阜県:郡上郡大和町母袋村[現在地名]大和町栗巣(くりす)西俣(にしまた)村の北、栗巣川の源流部で、母袋烏帽子(もたいえぼし)岳山麓にある。真宗大谷派西宝(さいほう)寺蔵の方便法身尊像裏書に明応五年(一四九六)一二月「大谷本願寺実如、美濃国大榑安養寺門徒、同国郡上郡山田庄大屋、願主釈浄円」とみえ、当時当地を大屋(おおや)と称したらしい。正保郷帳では田方六一石余・畑方八八石余。白山神社棟札に上母袋村とみえ、村内を上・下二ヵ村に分けていたようである。上母袋は現在は奥母袋と通称。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報