8世紀初頭、東北地方に置かれた城柵(じょうさく)。708年(和銅1)越後(えちご)国に出羽(いでは)郡が置かれ、翌年諸国に命じ出羽柵に兵器を運ばせたという『続日本紀(しょくにほんぎ)』の記事が史料上の初見。中には郡衙(ぐんが)や臨時の征狄(せいてき)所もあったと認められる。当初、山形県鶴岡(つるおか)市に所在した。712年出羽(でわ)国が設立されると、中に国衙(こくが)が置かれたと考えられる。北方国域掌握の必要上、733年(天平5)には秋田村高清水(たかしみず)岡に柵は北進した。現在の秋田市寺内(てらうち)高清水丘陵である。古代に秋田河といった雄物(おもの)川の河口部北岸にあたり、海路、内水路交通の便がある。やがて秋田城になるが、遺跡の秋田城跡からは、天平(てんぴょう)6年(734)10月の紀年銘のある木簡(もっかん)も出土している。
[新野直吉]
『新野直吉著『古代史上の秋田』(1981・秋田魁新報社)』
日本古代の城柵。〈でわのき〉ともいう。709年(和銅2)初見の柵であり,当初は山形県庄内地方,最上川河口付近に造られたものと考えられているが,その所在地は判明していない。初見時には,諸国から兵器が運びこまれており,後の714年や717年(養老1),719年には諸国から柵戸や民を配したと記されている。出羽の蝦夷対策のために置かれた柵とされているのである。この出羽柵は733年(天平5)秋田村高清水岡に遷置されている。その地は後の秋田城が造られた地であろうとされていたが,1978年に秋田城の外郭築地外の鵜ノ木地区の井戸跡から〈天平六年 月〉と記された木簡が出土し,出羽柵の遷地先であることがほぼ確定した。この柵には出羽国府が置かれていたと考えられ,したがって陸奥の多賀城同様,第一に国府としての機能を発揮したものと推量される。
→秋田城
執筆者:桑原 滋郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出羽国南部におかれた古代の城柵。708年(和銅元)出羽郡が建郡されて越後国に属したが,翌年に陸奥・越後両国を対象に蝦夷(えみし)征討が行われた。その折に諸国の兵器を出羽柵に運送させたとみえるのが初見。712年出羽郡を核として出羽国が成立。国府は出羽柵におかれたと考えられる。山形県鶴岡市などに比定地があるが不詳。733年(天平5)秋田村高清水岡(たかしみずのおか)(現,秋田市)に移転した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…古代出羽国の北半に置かれた城柵。《続日本紀》によると733年(天平5)に,それまでおそらく庄内地方にあったと思われる出羽柵が,秋田村高清水岡に遷置されている。それが秋田城の前身と考えられているが直ちに秋田城となったかどうかは判然とせず,秋田城の厳密な創建年代はわからない。…
※「出羽柵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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