出羽柵(読み)デワノサク

デジタル大辞泉 「出羽柵」の意味・読み・例文・類語

でわ‐の‐さく〔では‐〕【出羽柵】

奈良時代、東北地方経営のために今の山形県最上川下流付近に置かれた城柵天平5年(733)今の秋田市内に移され、のち秋田城となった。でわのき。

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改訂新版 世界大百科事典 「出羽柵」の意味・わかりやすい解説

出羽柵 (でわのさく)

日本古代の城柵。〈でわのき〉ともいう。709年(和銅2)初見の柵であり,当初は山形県庄内地方,最上川河口付近に造られたものと考えられているが,その所在地は判明していない。初見時には,諸国から兵器が運びこまれており,後の714年や717年(養老1),719年には諸国から柵戸や民を配したと記されている。出羽蝦夷対策のために置かれた柵とされているのである。この出羽柵は733年(天平5)秋田村高清水岡に遷置されている。その地は後の秋田城が造られた地であろうとされていたが,1978年に秋田城の外郭築地外の鵜ノ木地区の井戸跡から〈天平六年 月〉と記された木簡が出土し,出羽柵の遷地先であることがほぼ確定した。この柵には出羽国府が置かれていたと考えられ,したがって陸奥の多賀城同様,第一に国府としての機能を発揮したものと推量される。
秋田城
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日本の城がわかる事典 「出羽柵」の解説

でわのさく【出羽柵】

山形県庄内地方の最上川下流付近に設置されたとされる古代の城柵。平安時代初めに編纂された勅選史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』の709年(和銅2)7月1日の条が文献上の初出。708年(和銅1)に越後国出羽郡が設けられていることから、出羽郡設置とともに設けられた城柵とも考えられる。ただし、所在地は特定できていない。『続日本紀』によれば、出羽柵は大和政権勢力圏が北上するにしたがい、733年(天平5)に現在の秋田市付近に移設され、これが秋田城になった。秋田城には国府が置かれたが、蝦夷の反乱が相次ぎ、国府は再び庄内地方に移転した。その有力な候補地とされているのが同県酒田市にあった城輪柵(きのわのさく)である。◇「でわのき」「いではのき」ともいう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出羽柵」の意味・わかりやすい解説

出羽柵
でわさく

奈良時代,蝦夷に備えて築かれた。「でわのさく」ともいう。『続日本紀』の和銅2 (709) 年の条に,和銅1 (708) 年出羽郡が置かれ,和銅2年出羽柵に兵器を送ったというのが初見。所在については諸説あるが,山形県鶴岡市が想定される。柵は天平5 (733) 年秋田郡高清水岡に移され,秋田城前身となった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「出羽柵」の解説

出羽柵
でわのさく

出羽国南部におかれた古代の城柵。708年(和銅元)出羽郡が建郡されて越後国に属したが,翌年に陸奥・越後両国を対象に蝦夷(えみし)征討が行われた。その折に諸国の兵器を出羽柵に運送させたとみえるのが初見。712年出羽郡を核として出羽国が成立。国府は出羽柵におかれたと考えられる。山形県鶴岡市などに比定地があるが不詳。733年(天平5)秋田村高清水岡(たかしみずのおか)(現,秋田市)に移転した。

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世界大百科事典(旧版)内の出羽柵の言及

【秋田城】より

…古代出羽国の北半に置かれた城柵。《続日本紀》によると733年(天平5)に,それまでおそらく庄内地方にあったと思われる出羽柵が,秋田村高清水岡に遷置されている。それが秋田城の前身と考えられているが直ちに秋田城となったかどうかは判然とせず,秋田城の厳密な創建年代はわからない。…

※「出羽柵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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