毒沢村(読み)どくさわむら

日本歴史地名大系 「毒沢村」の解説

毒沢村
どくさわむら

[現在地名]東和町毒沢

小通こがよう村の南東に位置し、北流する毒沢川(猿ヶ石川支流)中流丘陵に立地。村名は地内に毒を生ずる沢があることによるという(邦内郷村志)。独沢村とも書かれた。天正九年(一五八一)一月の和賀氏分限録(小田島家記録写)の平士衆中に毒沢伊賀がみえる。毒沢氏は天正一八年まで村内毒沢館に居館していた。同年毒沢氏没落後、翌年南部信直は江刺氏分家の口内帯刀に「毒沢之内三百石」を与えている(同年一一月「南部信直知行宛行状」盛岡中村文書)

毒沢村
どくさわむら

[現在地名]尾花沢市毒沢

名木沢なぎさわ村の西方、最上川左岸段丘上に位置する。西は堀内ほりうち(現最上郡舟形町)、北は猿羽根さばね山を隔てて舟形ふながた(現同上)。地内に縄文時代中期の毒沢遺跡がある。元和八年(一六二二)山形藩領、寛永一三年(一六三六)幕府領となり、安政二年(一八五五)からは松前藩領。正保郷帳によれば田方一〇六石余・畑方一八石余。宝暦一一年(一七六一)の御巡見様御案内覚帳(二藤部文書)では高二九五石余、家数四二・人数二三二、馬七。

天明七年(一七八七)の村明細帳写(柳橋文書)によれば家数四五・人数二六六、馬七。御林二ヵ所(反別一〇町余、木数二三六本)、草山二ヵ所(小物成永七〇文)があり、鳥捕役永一二九文、漆の木および実代の永一八文を上納

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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