日本大百科全書(ニッポニカ) 「毒消し売り」の意味・わかりやすい解説
毒消し売り
どくけしうり
生薬(きぐすり)の「毒消丸(どくけしがん)」を売り歩く女行商人。現在の新潟市西蒲(にしかん)区巻(まき)の海岸地帯の角海(かくみ)浜、五(ご)ヶ浜、角田(かくだ)浜、その他の農村の若い娘たちが、長野、東京、千葉、茨城、遠くは北海道まで足を伸ばして売り歩いた。彼女たちの服装は菅笠(すげがさ)をかぶり紺絣(こんがすり)の着物に前垂(まえだれ)を下げ、手甲(てっこう)、脚半(きゃはん)に草鞋(わらじ)掛けで、背には紺の風呂敷(ふろしき)に包んだ「毒消丸」の行李(こうり)を背負い、独特の売り声で町や村を歩いた。毎年5月に新潟を出て10月末までの長期間行商を行った。この薬の成分は白扁豆(ふじまめ)に硫黄末(いおうまつ)、菊目石(きくめいし)、甘草(かんぞう)、天花粉(てんかふん)を混ぜて粉末にして丸薬としたもので、食あたり、腹痛、常習便秘、じんま疹(しん)に効果があるという。この行商が盛んとなったのは明治中期以降で、のちには「毒消し」のほかに他の薬や化粧品などを顧客のもとめに応じて持ち歩いた。
[遠藤 武]
『地方史研究協議会編『日本産業史大系5 中部地方篇』(1960・東京大学出版会)』