比嘉秀平(読み)ヒガ シュウヘイ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「比嘉秀平」の解説

比嘉 秀平
ヒガ シュウヘイ


肩書
琉球政府行政主席(初代),琉球民主党総裁

生年月日
明治34年6月7日

出生地
沖縄県読谷村

学歴
早稲田大学英文科〔昭和14年〕卒

経歴
大正14年和歌山県高野山中学教諭となり、昭和3年沖縄へ帰り、県立第二中学教諭、14年県立第三中学教頭となった。戦後は英語力と行政手腕を発揮して米軍の信頼を得、20年沖縄諮詢委員会通訳、21年沖縄民政府翻訳課長。25年知事官房長、同年6月琉球諮詢委員会委員長を経て、26年4月琉球臨時中央政府主席。27年4月琉球政府と改称後も初代行政主席として留任。日本復帰尚早論を唱えて沖縄社会大衆党を脱党、同年与党・琉球民主党(のちの沖縄自由民主党)を結成、総裁となった。31年夏、米軍用地反対運動が激化、軍民の緩衝地帯的役割に苦悩晩年を送り、同年急死した。

没年月日
昭和31年10月25日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「比嘉秀平」の解説

比嘉 秀平
ヒガ シュウヘイ

昭和期の教育家,政治家 琉球政府行政主席(初代);琉球民主党総裁。



生年
明治34(1901)年6月7日

没年
昭和31(1956)年10月25日

出生地
沖縄県読谷村

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔昭和14年〕卒

経歴
大正14年和歌山県高野山中学校教諭となり、昭和3年沖縄へ帰り、県立第二中学教諭、14年県立第三中学教頭となった。戦後は英語力と行政手腕を発揮して米軍の信頼を得、20年沖縄諮詢委員会通訳、21年沖縄民政府翻訳課長。25年知事官房長、同年6月琉球諮詢委員会委員長を経て、26年4月琉球臨時中央政府主席。27年4月琉球政府と改称後も初代行政主席として留任。日本復帰尚早論を唱えて沖縄社会大衆党を脱党、同年与党・琉球民主党(のちの沖縄自由民主党)を結成、総裁となった。31年夏、米軍用地反対運動が激化、軍民の緩衝地帯的役割に苦悩の晩年を送り、同年急死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「比嘉秀平」の解説

比嘉秀平 ひが-しゅうへい

1901-1956 昭和時代後期の官僚,政治家。
明治34年6月7日生まれ。母校の中学の教諭をへて,第二次大戦後,沖縄民政府にはいり,翻訳課長,官房長などをつとめる。昭和27年米民政府の任命で琉球政府初代行政主席となった。琉球民主党総裁。米軍用地反対闘争の渦中の昭和31年10月25日急逝。55歳。沖縄県出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「比嘉秀平」の解説

比嘉 秀平 (ひが しゅうへい)

生年月日:1901年6月7日
昭和時代の官僚;政治家。琉球政府行政主席(初代)
1956年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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