比曾村
ひそむら
[現在地名]飯舘村比曾・長泥・蕨平
現飯舘村南端に東西に長く広がる村。西端の笹峠付近を源とする比曾川は、現在の比曾から長泥へと東流し、蕨平付近で北東に流れを変えて新田川に合流する。奥州西街道は北の飯樋村から村内西部に入り、比曾峠(比曾坂)を越えて安達郡山木屋村(現川俣町)に至る。かつての相馬藩境に位置したため、地内に他領との境を思わせるバンヤ、トリアゲ坂の地名がある。「仙道記」に比曾峠について「山小屋村より相馬領ひそ村之間に、とりあけと申坂有、上下八丁二十間、広サ三尺四尺、荷付馬のかよひ常々自由」と記される。
比曾村
ひそむら
[現在地名]大淀町大字比曾
高取山南麓、馬佐村の東方にある。「日本書紀」欽明天皇一四年条に「吉野寺」がみえ、「日本霊異記」上巻の第五には「今の世、吉野の比蘇寺に安置して光を放つ阿弥陀の像是れなり」とあり、「今昔物語集」巻一一の「建現光寺安置霊仏語第廿三」にも「今、吉野ノ郡、現光ニ安置シ奉ル。其時ニ、仏、光ヲ放チ給ヘリ。阿弥陀ノ像、是也。窃 ニ稲ノ中ニ隠シタレバ、現光寺ヲバ窃寺トハ云フ也ケリトナム語リ伝ヘタルトヤ」と記す。在来の比曾という地名に付会した説話であろう。
建武元年(一三三四)二月の坊領証文紛失状(吉水神社文書)に「比曾郷内水田五段」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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