日本歴史地名大系 「気屋村」の解説 気屋村けやむら 石川県:河北郡宇ノ気町気屋村[現在地名]宇ノ気町気屋(きや)鉢伏(はちぶせ)村の東方、気屋川上流の丘陵麓に位置。東方の気屋峠(標高一〇六メートル)を越え種(たね)村(現津幡町)に通じる。仮名付帳や「圭邑名林」はケヤと訓じ、毛屋とも記された。中世は北英田(きたあがた)保の内。正中二年(一三二五)一一月二五日の梶井門跡相承庄園御領目録(三千院文書)に「気屋保便補専寺御封」とあり、英田南保・同北保とともに比叡山横川の恵心(よかわのえしん)院(現滋賀県大津市)領として、同門主となった尊雲法親王(護良親王)に譲られている。康安元年(一三六一)八月二五日の富樫用家譲状案(美吉文書)には「北英田保内気屋村」とあり、加賀守護富樫介高家が勲功の賞として獲得していたが、その子氏春の遺命で中村(なかむら)名と散田二町を勘解由小路の女房へ譲ることを、氏春の遺児を後見していた一族の用家(沙弥源通)が証している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by