水戸藩上屋敷跡(読み)みとはんかみやしきあと

日本歴史地名大系 「水戸藩上屋敷跡」の解説

水戸藩上屋敷跡
みとはんかみやしきあと

[現在地名]文京区後楽一丁目・春日一丁目

江戸城の北、神田川(外堀、古くは江戸川)の北岸、小石川御門外にあった水戸藩徳川家の江戸上屋敷。当初は別邸であったが、明暦の大火後上屋敷となった。小石川台の南に広がる低地を占め、江戸城北方の要地を親藩に守備させたものと考えられる。表門は神田川に面する南側、水道すいどう橋寄りに設けられていた。後楽こうらく園と名付けられた庭園は天下の名園として聞こえた。

江戸時代初期、小石川台の南斜面下には陸奥会津藩主蒲生忠郷屋敷があった。忠郷は寛永四年(一六二七)に二五歳で没し、嗣子がなかったため、弟忠知が継いで伊予松山まつやま(現愛媛県松山市)移封となり、当地の屋敷も明屋敷となった。同六年閏二月、大御所徳川秀忠はこの明屋敷を弟の水戸藩初代藩主頼房に与えた。当時頼房の江戸本邸は半蔵門外にあったが、山水を好んだ頼房が適地を徳大寺左兵衛(庭師)に探させ、当地を将軍家に請い、拝領したものだともいう。付近にあった本妙ほんみよう寺・吉祥きちじよう寺もそれぞれ本郷と駒込こまごめに移され、両寺の寺地を合せて七万六千坪余におよぶ屋敷地が頼房に与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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