東京砲兵工廠(読み)とうきょうほうへいこうしょう

百科事典マイペディア 「東京砲兵工廠」の意味・わかりやすい解説

東京砲兵工廠【とうきょうほうへいこうしょう】

旧幕府の関口大砲製作所を受け継いだ日本陸軍兵器工廠。小石川の旧水戸藩邸跡に建設され,小銃主体とする兵器の製造を行った。1871年から,1923年の関東大震災により甚大な被害を受け,機能を小倉工廠に移転するまで操業した。後に板橋火薬製造所,岩鼻火薬製造所,十条兵器製造所など関東の陸軍兵器工場管下においた。跡地庭園東京ドームなどのレジャー施設になっており,小石川後楽園には弾丸製造機械など砲兵工廠遺構が保存され,記念碑も建てられている。
→関連項目兵器廠

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東京砲兵工廠」の解説

東京砲兵工廠
とうきょうほうへいこうしょう

明治前期に設立された陸軍所要の兵器を製造・修理する官営製造所。小銃・機関銃・弾丸を中心に製造し,村田銃三八式歩兵銃・三八式機関銃の創製・量産で知られる。前身江戸幕府関口大砲製作場で,1870年(明治3)2月兵部省造兵司の管理下に入り,翌年6月小石川(東京都文京区)の旧水戸藩邸に工場を移した。79年10月制定の砲兵工廠条例によって東京砲兵工廠とよばれる。1923年(大正12)の陸軍造兵廠設置にともない,火工廠・名古屋工廠を分離して東京工廠となる。陸軍省管轄。

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旺文社日本史事典 三訂版 「東京砲兵工廠」の解説

東京砲兵工廠
とうきょうほうへいこうしょう

明治前期,東京に設けられた政府の官営軍需工場
旧幕府経営の関口製作所を明治政府が接収して東京工廠としたのに始まり,1879年東京砲兵工廠となる。大阪砲兵工廠とともに陸軍直営の兵器工場として発展。1923年廃止され,陸軍造兵廠東京工廠となった。

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世界大百科事典(旧版)内の東京砲兵工廠の言及

【軍工廠】より

…両者とも,明治維新政府が旧幕府,西南雄藩が建設した造船所,兵器工場を接収および新設して出発した。陸軍は東京砲兵工廠(1868年,小銃製造中心,幕府の関口製作所が母体),大阪砲兵工廠(1870年,火砲製造中心,長崎製鉄所の機械と職工を大阪城内に移した造兵司が母体)を起点とし,修理と輸入品の模造をおこないつつ,欧米から労働手段・技術を輸入して,1887‐90年には一定の兵器の量産が可能となり,村田銃(十三年式(明治13年)→十八年式→連発銃(明治22年)と改良),7センチ後装式野砲・山砲はこの時期の技術的到達点を示している。海軍は旧幕府が建設していた横須賀造船所等を接収して,1872年に海軍省直轄とし,74年に海軍兵器製造所を東京築地に新設(工部省赤羽工作分局の機械等を移し,1897年より海軍造兵廠と称する)。…

※「東京砲兵工廠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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