東京都文京区にある庭園。水戸徳川家の江戸における別業庭園で、徳川家康の子の頼房(よりふさ)が、1629年(寛永6)にこの地を家光(いえみつ)より下賜され、ただちに別荘の建設にとりかかった。奉行(ぶぎょう)は酒井忠世(ただよ)と土井利勝(としかつ)であるが、作庭の意匠にあたったのは徳大寺左兵衛(さへえ)である。1636年に完成し、その年の11月12日に家光を招いての茶事があったことを、『大猷院殿御実紀(だいゆういんどのごじっき)』に記している。当初は7万6689坪(約25万3074平方メートル)あったが、現在は2万1469坪(約7万0847平方メートル)になっている。しかし、基本構想にはいささかの変化もなく、大池泉回遊兼縮景様式で、日本や中国大陸の名所を縮めて意匠した形式である。池泉中央には大きい蓬莱(ほうらい)島をつくり、巨石の蓬莱石を立てている。また、立田(たつた)川、大堰(おおい)川、小盧山(しょうろざん)、白糸滝などの意匠もある。のち2代光圀(みつくに)の時代にも修復され、このとき唐門(からもん)、円月橋などの中国趣味の意匠が加わった。なお「後楽園」の名称は、光圀の命により、明(みん)末の儒者朱舜水(しゅしゅんすい)(朱之瑜(しゅしゆ))が名づけた。宋(そう)の范文正(はんぶんせい)の『岳陽楼(がくようろう)の記』にある「先憂後楽」(先天下之憂而憂、後天下之楽而楽)により、憂うることは人に先だって憂い、楽しむことは人に遅れて楽しむという、忠臣の国を思う情を意味する。特別史跡・特別名勝。
[重森完途]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…後楽園と通称されるものには,東京都文京区後楽にある小石川後楽園と岡山市後楽園にある岡山後楽園の二つがあり,ともに江戸時代の典型的な大名の回遊式庭園である。その名称はともに中国宋代の范文正《岳陽楼記》の〈士当先天下之憂而憂 後天下之楽而楽〉からつけられた。…
※「小石川後楽園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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