日本歴史地名大系 「水野家墓所」の解説
水野家墓所
みずのけぼしよ
境内にある水野家代々の墓所は県指定史跡。もとは本堂裏より参道を通り南面した勝成の墓地まで二〇〇基に余る石灯籠が並んでいたが、明治時代に山陽鉄道が寺と墓域の間を横切ったため、参道は取払われた。また昭和三二年戦災復興都市計画で山陽本線の両側に道路を敷設するため、水野勝成の墓ならびに父忠重供養碑、勝成第三子成貞の墓、四代勝種長男数馬の墓が、発掘調査のうえ、墓域北側に建立当初の配置のままに移建された。なおかつての勝成の墓の背後、現墓域西南隅に西向きに三代勝貞の墓が殉死者安田孫之進の墓とともにある。さらに東北隅には四代勝種の墓がある。
勝成の墓は五輪の大石塔で、地輪は「備後国福山当城開基前城主源氏水野日向守勝成、捐館徳勝院、前四位日州太守、参康宗久大居士、施主 孝子源氏水野勝俊敬白、于時 慶安四年辛卯歳三月十五日」と刻まれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報