朝日日本歴史人物事典 「水野忠任」の解説
水野忠任
生年:元文1(1736)
江戸中・後期の肥前国唐津藩(佐賀県唐津市)藩主。通称は長十郎。織部正に任ぜられ,のち和泉守に改め,隠居後越前守に改める。父は旗本水野守満。宝暦1(1751)年三河国岡崎藩主水野忠辰が「押込」により隠居させられたため養子となり,2年6万石を継ぐ。三方領知替により12年唐津に転じる。転封の際の出費がかさみ財政が逼迫したため年貢の増徴,専売制の強化などの財政改革を断行。先例を無視し農民に大きな負担をかける政策であったので,明和8(1771)年農民2万人余が蜂起するという「虹の松原一揆」が起こり改革は失敗。その責を負って安永4(1775)年隠居,養子の忠鼎に家督を譲った。
(小柴良介)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報