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水野忠友 みずの ただとも

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

水野忠友 みずの-ただとも

1731-1802 江戸時代中期-後期の大名。
享保(きょうほう)16年2月3日生まれ。幕臣水野忠穀(ただよし)の長男。将軍徳川家治(いえはる)の小姓となり,田沼意次(おきつぐ)の台頭とともに出世。三河(愛知県)大浜藩主をへて,安永6年(1777)駿河(するが)(静岡県)沼津藩主水野家初代となる。3万石に加増され,天明5年老中。田沼失脚により解任されたが,のち西丸老中に復帰。享和2年9月19日死去。72歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

水野忠友

没年:享和2.9.19(1802.10.15)
生年:享保16(1731)
江戸中期の老中。豊後守,出羽守を称す。父は忠穀(7000石の旗本)。9歳のとき徳川竹千代(のちの家治)の御伽となり,以来家治付の小姓,小姓頭取,小姓組番頭格御用取次見習,御側御用取次を経て,明和5(1768)年勝手掛若年寄奥兼帯に進む(加封され大名に列す)。田沼意次の4男忠徳を養子とし,安永6(1777)年側用人となり加封され駿河沼津城主となる。天明1(1781)年勝手掛老中格,5年勝手掛老中奥兼帯となる(数度の加増で3万石)。田沼派のため松平定信の登場で8年老中を辞任したが,定信退陣後,寛政8(1796)年若君(のちの徳川家慶)付老中に復帰し,在任中没す。

(山田忠雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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