水頭裏町
みずがしらうらまち
島原城の南方、新町の東に位置する。水頭は内湊と称される城下の湊であった。宝永四年(一七〇七)検地とある島原領内村明細帳に「船津・水頭・長浜」とみえ、この三ヵ所に遠見番所が置かれた。天明三年(一七八三)の古町筋からの失火では往来番所を含めて船津が全焼したが、水頭番所は免れている(島原の歴史藩制編)。この番所は商い荷を取締る改番所。寛政四年(一七九二)の島原惣町之図(長崎市立博物館蔵)に「石垣」とあるのは石垣町で、長さ一二六間・幅二間半。同年の島原大変では水頭裏町のうちの水頭・魚ノ棚・三間屋・舟津・風呂屋町・石垣町の各町が被害を受け、水頭は流死者数三一、石垣町が流死者数一四、三間屋が流死者数一七九(安養寺過去帳・晴雲寺過去帳・快光寺過去帳など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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