デジタル大辞泉
「石垣町」の意味・読み・例文・類語
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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石垣町
いしがきちよう
[現在地名]東山区石垣町西側・同東側
大仏仁王門通(大和大路)に位置し、南は馬町通、東側と西側の二町に分れる。
承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「石かき丁」とあるのが早い。延宝二年(一六七四)四方洛外町続之町々小名之覚(荻野家文書)や同六年刊「京雀跡追」にもみえる。正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名并家数改帳(同文書)には既に石垣町東側二五軒の家数の記載があるが、西側はみえない。文政三年(一八二〇)下京軒役分割帳(占出山町有文書)には「石垣町西側 拾四軒」とあって、東側がみえない。
石垣町
いしがきちよう
[現在地名]水戸市柳町一丁目
どとめき橋から堀に沿って西に向かい、水門町の北方に及ぶ片側町。東は竹熊町、北は東柵町。石垣脇町ともいう。どとめき橋は旧名を石垣橋といい、慶安二年(一六四九)水戸藩士下野藤八が造った。元禄三年(一六九〇)どとめき橋と改名。また富士見橋・不動橋ともいう。
石垣町
いしがきまち
[現在地名]仙台市石垣町
姉歯横丁の東、通町荒町の毘沙門堂前から南の広瀬川左岸に下る通りで、もと石垣衆と称された足軽衆が住む。東は弓ノ町、南は土樋。寛永五年(一六二八)完成の若林城普請に伴う仙台城下南東方への拡張期に際し、石垣衆の屋敷を置いたのでこの町名があるものと思われる。荒町が元荒町から同四、五年頃、毘沙門堂前に移されたことから当町の割付は寛永五年から下ってもそれほど遅い時期ではあるまい。
石垣町
いしがきまち
[現在地名]米沢市南原石垣町
横堀町の南東に位置する下級家臣(原方衆)屋敷町。城下南端の七軒町から約二八町で当町入口に至る(文化八年城下絵図)。赤崩村に通じる南北道に沿う両側町。南原五町の一。慶長五年(一六〇〇)越後与板町(現新潟県三島郡与板町)に居住していた直江兼続の家臣が当地に移住して形成したと伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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