朝日日本歴史人物事典 「永井尚政」の解説
永井尚政
生年:天正15(1587)
江戸前期の老職(のちの老中),下総古河(茨城県)藩主のち山城(京都府)淀藩主。通称は伝八郎,官職名は信濃守,父は直勝,母は阿部正勝の娘。徳川秀忠の近習となり,大坂の陣で勇戦して小姓組番頭となる。元和5(1619)年加増1万石を得て大名となる。8年老職に就任,翌9年秀忠から徳川家光への将軍譲位にともない,秀忠つき西の丸老職となる。寛永3(1626)年父の遺領を継ぎ,合わせて下総古河8万9000石余りを領知した。秀忠死後の10年に西の丸老職をやめ,山城淀10万石へ転封,八人衆の重鎮として畿内の幕政に当たる。井上正就,板倉重宗と共に秀忠近侍の三臣といわれた。
(しらが康義)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報