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井上正就 いのうえ まさなり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上正就 いのうえ-まさなり

1577-1628 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天正(てんしょう)5年生まれ。井上政重の兄。徳川秀忠に近侍し,元和(げんな)元年小姓組番頭(ばんがしら),8年老中となる。同年遠江(とおとうみ)(静岡県)横須賀藩主井上家初代。5万2500石。寛永5年8月10日江戸城西丸で目付の豊島(としま)信満に殺害された。52歳。縁組の破談が原因といわれ,江戸城内における最初の刃傷(にんじょう)ざたとされる。遠江出身。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

井上正就

没年:寛永5.8.10(1628.9.7)
生年:天正5(1577)
江戸初期の老中。主計頭。清秀と永田氏の娘の子。幼少から徳川秀忠に仕え,永井尚政,板倉重宗と共に近侍の三臣といわれた。大坂冬・夏の陣(1614・1615)では小姓組番頭など秀忠の親衛隊長を務め,旗本を指揮して常に秀忠の身辺を護衛した。この地位は死去するまで変わらなかったが,元和8(1622)年からは老中も務め幕政に大きく関与している。しかし寛永5(1628)年8月10日江戸城中において,目付豊島正次に殺害された。これは正就が豊島と約した婚儀をほごにしたためとされるが,江戸城での最初の刃傷事件であるとともに,体面を汚された旗本がたとえ老中でも遺恨をはらすという,当時の旗本の気骨を示している。

(小池進)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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