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板倉重宗 いたくら しげむね

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美術人名辞典の解説

板倉重宗

江戸前期の京都所司代・下総国関宿藩藩主。駿河国生。板倉勝重の長男。初名は重統、通称を十三郎・五郎八又右衛門。秀忠の将軍宣下に際して従五位下周防守に叙任され、大坂の両陣に従軍。書院番頭を経て京都所司代となり、父勝重と共に名所司代として知られた。明暦2年(1656)歿、70才。

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デジタル大辞泉の解説

いたくら‐しげむね【板倉重宗】

[1587~1656]江戸初期の幕臣。勝重の長男。父のあと京都所司代に就き、在職35年。厳正な裁判で知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

板倉重宗 いたくら-しげむね

1586-1657* 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)14年生まれ。板倉勝重の長男。将軍徳川秀忠の側近としてつかえ,父のあと元和(げんな)6年京都所司代となる。35年間在職。父とともに名所司代といわれ,父子2代にわたる政務の記録「板倉政要」がある。明暦2年下総(しもうさ)関宿(せきやど)藩(千葉県)藩主板倉家初代。5万石。明暦2年12月1日死去。71歳。駿河(するが)(静岡県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

板倉重宗

没年:明暦2.12.1(1657.1.15)
生年:天正14(1586)
江戸前期の京都所司代,下総国関宿藩(千葉県関宿町)藩主。駿府(静岡)の生まれで,板倉勝重の長男,母は栗生永勝の娘。初め重統。通称十三郎,五郎八,又右衛門。周防守。徳川秀忠に近侍し,のち永井尚政,井上正就と共に秀忠の近侍の三臣と称される。慶長5(1600)年15歳で関ケ原の戦に従軍。10年,秀忠の上洛に供奉し,秀忠の将軍宣下に際して従五位下周防守に叙任される。大坂の両陣にも従軍。書院番頭を経て,元和6(1620)年致仕した父勝重のあとを受けて京都所司代となり,2万7000石余を領す。以来承応3(1654)年までの約35年間,江戸幕府の京都支配の中枢として所司代の職にあり,辞任後も後任牧野親成の補佐役として翌年まで京都に留まった。その間,遺領継承や加増によって5万石となる。明暦2(1656)年下総国関宿に転封となるが,同年12月死去。父勝重と共に名所司代として知られ,「後世にはありがたき賢臣」と評された。なお『板倉政要』および『板倉政要続篇』は,京都所司代を務めた板倉勝重,重宗父子の在職中の施政,あるいは裁判に関する記録や事績を,後世まとめたものである。

(大森映子)

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世界大百科事典 第2版の解説

いたくらしげむね【板倉重宗】

1586‐1656(天正14‐明暦2)
江戸前期の京都所司代,下総国関宿城主。板倉勝重の長子。徳川秀忠に近侍,1605年(慶長10)秀忠将軍宣下に際し,従五位下周防守に叙任。書院番頭を経て,20年(元和6)父勝重のあとをうけ京都所司代となり,54年(承応3)まで35年間在職。退任後も後任所司代牧野親成を補佐し翌年まで在京。この間24年(寛永1)勝重の遺領1万石余を合わせ3万8000石を領し,33年1万2000石を加増された。56年下総国関宿に移封されるが,同年12月1日没す。

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大辞林 第三版の解説

いたくらしげむね【板倉重宗】

1586~1656) 江戸初期の幕臣。勝重の長男。1620年勝重のあとを襲って京都所司代となり、以後在職三十余年に及んだ。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

板倉重宗
いたくらしげむね

[生]天正14(1586).駿府
[没]明暦2(1656).12.1. 下総,関宿?
江戸時代前期の京都所司代。勝重の嫡子。周防守。元和5 (1619) 年京都所司代に就任。承応3 (54) 年辞職。名所司代といわれた板倉氏の施政,裁断の大要を知るものとして『板倉政要』がある。明暦2 (56) 年,下総国関宿で5万石を領した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

板倉重宗
いたくらしげむね
(1587―1656)

江戸幕府初期、徳川家光(いえみつ)時代の京都所司代。周防守(すおうのかみ)。下総(しもうさ)国(千葉県)関宿(せきやど)城主で5万4000石。駿府(すんぷ)(静岡市)に生まれる。初め重統(しげむね)、十三郎、五郎八などと称した。1619年(元和5)父勝重(かつしげ)の後を継ぎ、父の声名を上回る名所司代となる。在任中は幕藩体制確立期にあたり、朝幕関係において幕府の威信を高めつつ平和的維持に努めた。京都の治政では強大な権限を与えられ、「牢人(ろうにん)」の追放、キリシタン禁圧、京都の民政に関する21か条の発布など業績が多い。また裁判ではつねに厳正な態度で臨み、『藩翰譜(はんかんぷ)』などにこの種の逸話を残している。54年(承応3)職を辞し、関宿城に転封され、同地で死去。[煎本増夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の板倉重宗の言及

【本朝桜陰比事】より

…浮世草子。井原西鶴著。1689年(元禄2)刊。5巻5冊。短編小説集で44の裁判説話を載せる。各章〈昔,京の町〉云々という書出しで始まり,洛中洛外に起こった事件を奉行が解決し,判決を下す説話で,推理小説でもある。奉行名は明示していないが,京都所司代板倉勝重・重宗の父子が想定できる。また,2人の裁判話として世に伝えられているものを含む。宋の桂万栄著《棠陰(とういん)比事》を模した書名で,同書や,板倉父子の裁判例を載せた《板倉政要》を素材に用いている。…

※「板倉重宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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