永国寺跡(読み)えいこくじあと

日本歴史地名大系 「永国寺跡」の解説

永国寺跡
えいこくじあと

[現在地名]高知市永国寺町

高知城の東北方にあった。真言宗御室仁和寺末。旗鉾山一乗院と号し、本尊は不動明王。「皆山集」によると、高知城鬼門鎮護、国家安全の祈願所として、二代藩主山内忠義の時、栄元を開山として創建された。本尊は城内御持仏の守本尊で、紀州根来ねごろ寺の開創覚鑁の作と伝える。「南路志」によると発願が寛永五年(一六二八)で、同七年に完成成就したといい、寺領一〇人扶持、合力米一四石二斗八升。享保一二年(一七二七)城下の大火時に類焼、同一五年、高知城二ノ丸の仮番所の建具再建(皆山集)、嘉永六年(一八五三)の火災時には、ほん町にあった「大膳様鹿子」の荒屋敷の材を用いて再建したという(高知町鑑)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 お守り 正月

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む